36回(2008)『霊山 OYAMA』杉谷昭人

36回(2008)『霊山 OYAMA』杉谷昭人

略 歴

1935(昭10)年、朝鮮半島鎮南浦府(現南浦市)生。宮崎大学卒。
故本多利通らと「白鯨」「赤道」に拠る。

詩集『人間の生活――続宮崎の地名』にて第41回H氏賞。他に『日之影』『小さな土地』詩論集『詩の起源』など。

現在、日本文芸家協会会員、詩人会議特別会友、他。

宮崎市在住。鉱脈社(出版)勤務。73歳。

 


受賞のことば

まず想像力を――受賞にあたって 杉谷 昭人

第36回壺井繁治賞をいただくことになってまず胸に浮かんだのは、詩集『霊山』が評価されたという嬉しさと同時に、自分の生きてきた道はこれでよかったのだという、一種の安堵感にも似た気持ちだった。私は新米教師のころ、60年安保の時代を日之影という山村で暮らし、定年前の十年は教職員組合委員長を務めた。

若いころの私の荒地バリの詩は、日之影の人々の心には届かなかった。またその人々の生活の実態や苦悩に、私の目も向いていなかった。そう気付いたとき、私の詩は徐々に変わっていった。その現在が『霊山』である。

もうひとつは、壺井繁治という名への思いがある。私がはじめて師事した詩人は神戸雄一氏で、氏は壺井が中心にいた「赤と黒」に資金を提供し、さらに後継誌「ダムダム」には同人として参加もしている。高校生時代、私は神戸氏から壺井、岡本潤、林芙美子らのエピソードを聞きながら詩を夢見ていた。神戸氏にゆかりのある詩人の名を冠した賞を受けて、氏にも少々は恩返しができたように感じている。

「真暗闇のなかでは、私たちの想像力は、明るい光の下でよりずっと活発にはたらく」とは、カントの言である。今日のように困難の多い状況の下で、私たちは詩を志すことの意味を改めて問われようとしている。想像力とは、日常の身のまわりの矛盾に気づくことのできる力である。自分よりも弱い人、不幸な人の立場に自分の身を置いて考えることのできる力である。テレビのニュースを見ながら、最近とくにそう思う。
詩は技法などを語るまえに、まず世界に対する態度の問題だ。日常のことばを詩のことばに高めていくには、まず一日一日を誠実に生きていくほかはないのだ。


 


 


 


 


 

 

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