2023年 自由のひろば年間表彰

2023年 自由のひろば年間表彰

●自由のひろば年間表彰

〈最優秀作品〉
加澄ひろし「惨劇」(6月号)

〈優秀作品〉
橋本敦士「銀河カブ」(7月号)
坂田敬子「信濃村開拓団」(3月号)
木崎善夫「かれのネジ」(1月号)

 

最優秀作品

惨劇
加澄ひろし

春を待つ、小さな畑で
腰を曲げた婆さまが
危うげに、鍬を打っている
傍らの柿の木の枝の先で
一羽のジョウビタキが見守っている
何をかくすこともなく
何におびえることもなく
辛抱強く、待っている

やわらかく解された
畝にひらいた起伏の隙間で
生まれたばかりのミミズの子が
初めて見る、空の光にもがいている
ぬくもり始めた土の中で
目覚めたばかり、寝ぼけまなこで
ひなたの風にさらされた

白く重い鉄の刃が
からだを掠めて、振り降ろされた
天地を揺らす黒い影が
あたまの上を、ゆっくり遠ざかる
一瞬、翼の羽ばたきを聞いたかと思うと
冷ややかな嘴に摘ままれていた
生まれてまもない無垢の命
この世を儚む暇もなく
ただ餌食となって、潰えて逝った

とるに足らない惨事であった
あまたに繰り返される
晴れた日の山里の光景である

婆さまは、鍬を打っている
腰をかがめて、休み休み
ジョウビタキが、見守っている
悪意のない、つぶらな瞳で

 

〈略歴〉
加澄ひろし
東京都出身、宮崎県在住。
民間企業に永年勤務、退職後、詩作をはじめました。生まれ育った東京を離れて、宮崎に移住し、自然を謳歌しながら詩作に励んでいます。宮崎県詩の会会員。

表彰を受けて
この度は、有難うございます。「自由のひろば」に初めて投稿したのは、2021年6月のこと。そして、自分の作品を初めて掲載していただいたのは、2022年3月号でした。それまで、自分の作品が印刷物に載る機会などありませんでしたので、いただいた選評を飛び上がる思いで読みました。
以来、新しい号が出るたびに、ドキドキしながらページをめくり、がっかりしたり、喜んだりを繰り返してきました。そして、丁寧に書かれた選評に、多くを学ばせていただきました。自分の詩がどう読んでいただけたのか、どう感じていただけたのか、大変勉強になりました。大いに励みになり、この次はもっとよい詩を送らなければと思うようになりました。まさに、私の詩は「自由のひろば」に育てていただきました。選者の皆さまには、感謝の念に堪えません。これからも、目指すべき自分の詩の姿を求めて、一層精進して参ります。

 

 

優秀作品

銀河カブ
橋本敦士

となりの島田から藤枝までの六キロ
おじいちゃんは毎朝カブでやってきて
ぼくを保育園に四年間おくりむかえした

ハンドルとシートのあいだに
手製の台があり
ぼくはそこにおさまった

とうめいなプラスチックの風よけと
冬には中が毛布地になったハンドルカバー
ぼくはあたたかいそこに手をつっこんだ

それは幼年期の宇宙をゆく
安全なコックピット
おおらかなやさしさにおおわれて
ぼくはそこから
ゆくての銀河に目をこらした

 

信濃村開拓団
坂田敬子

獣医をしていた父
厩舎には馬を何十頭も飼っていた
母と一緒に牛乳風呂に
板塀の隙間から
顔を出してあまえる馬
軍用犬のシェパードは二匹
狼の盗賊から守る兵士

乾し草と馬糞の臭いで育った
父は一歳の娘をのせ
大草原を地平線に向って走る
はるかに見える山々は鋸の歯
汽車は時間を忘れた模型だ
あたりは広い広い草原の海
スズランを土産につむ父娘
父に母は小さくて息ができずと
注意する平和な家庭

ある日青年の叫ぶ声
「馬が逃げたぞー」
皆んなが花火のように散った
赤煉瓦の続く長い道
夕焼けの街には誰もいない
馬はどこへ行ってしまったのか
父はもう諦めた
大草原に蟻を探すようなものだ

春になると母は私を膝にのせ
二頭立ての馬車に乗り街へ
シャンシャンシャンシャン
鈴音をたてのんびり歩く馬
両側にはアカシアの花が満開
何を買いに行ったのだろう

日本は敗戦
帰国という戦争がはじまった

母は幻の国をみた一人である

 

かれのネジ
木崎善夫

かれがあるいたあとには
ぽとりぽとりネジがおちている
そのからだからはずれて
ぽとりぽとりネジがおちている

通りのあちら側に行列が続いている
花束を抱えた人々の絶え間ない流れ
祭り上げられた〝英雄の死〟に対し
情緒的陶酔型空間が増幅されていく

違和感を抱えて 違和感を抱えて

かれがあるいたあとには
ぽとりぽとりネジがおちている
そのからだからはずれて
ぽとりぽとりネジがおちている

通りのあちら側の先頭は誰だろう?
先導者に扇動……扇動者に先導され
1丁目1番から〝いつかきた道〟へ
世間様推奨的思考停止型行進が続く

違和感から更に 恐怖感を覚えて

かれがあるいたあとには
ぽとりぽとりネジがおちている
そのからだからはずれて
ぽとりぽとりネジがおちている
ネジは行き場もなくおちるものか?
偶然と必然が絡まりおちるものか?
意図するところを超えて気づかせる
立ち止まらせて足元を見つめさせる

拾わずにはいられない
かれのネジにわたしはためされている

かれがあるいたあとには
ぽとりぽとりネジがおちている
そのからだからはずれて
ぽとりぽとりネジがおちている

 

 

●選評

坂田トヨ子
加澄ひろし「惨劇」
加澄さんは、自然の姿を的確に美しく描き、人の在り方を思索する作品が多く、特に、7月号「風音」と6月号「惨劇」に感銘を受けました。見えるはずのないミミズに焦点を合わせる詩人。ミミズの惨劇は、大自然における生の営みの一部であって悪意などみじんもない。その中に生きる婆さまの姿に生きることへの愛おしさを感じます。
橋本敦士「銀河カブ」
橋本さんの作品は、テーマも発想も多岐に渡り、無駄のない簡潔な表現は読者の想像を拡げますが、時に、思い悩む部分もありました。この作品は、淡々と述べられる事実で、祖父の愛情を表現し、4連で一気に宇宙へと視界を拡げる。見事な展開に感動しながら味わうことができました。生の切なさがにじみ出る他の詩にも共感しました。
坂田敬子「信濃村開拓団」
坂田さんは、戦中戦後の暮らしを書かれてきました。誠実に生き、その体験に基づく言葉には説得力があります。この作品は、最後の1行が詩を引き締め、作者の思いを見事に凝縮させた表現だと思いました。戦中戦後の体験は十人十色。庶民の暮らしの歴史をぜひ、書き続けてほしいと願っています。
木崎義夫「かれのネジ」
発想にまず驚き、共感しながら表現にも感銘を受けました。繰り返される4行のひらがな表記も適切だと思いましたが、4回は多すぎるという意見を聞いて、確かに、最後の連はない方がいいかもしれないと今は思っています。「かれ」のしてきたことに、強い憤りを感じながら、ほとんど詩に書けないでいる私には、強く心に残る作品です。

中村明美
加澄ひろし「惨劇」は、日常の中にある生と死を捉えて、生命の循環の普遍を描いて秀逸でした。加澄さんは、他にも優れた作品がいくつもあり、そのどれが受賞してもよかった。そう思わせるほど、表現力の豊かさと、視る力の確かさ、そして深い抒情で、力量のある詩人。すっかり加澄ファンです。
「銀河カブ」橋本敦士さんも、この一年間持続して投稿して頂きました。安定した力量で、優れた作品を書いています。この「銀河カブ」も、小さい頃の、温かく安心して、祖父に守られて走った記憶が、本人はもちろん、いま読み手も共に温めてくれます。質の高い作品。年少時のこうした記憶が、やがて来る青年期の世界への飛翔、そこへの強い踏み台になるのでしょう。
「信濃村開拓団」の坂田敬子さんは、昨年も優秀賞を受賞されています。戦争の加害と被害を、国策で海を渡った市井の人々の視線から捉えています。歴史の中で翻弄される、愛おしくもささやかな、ひとつの家族の物語でもあり、記録としても貴重な作品です。
「かれのネジ」の木崎善夫さん。静かに、ゾクッする作品。人間の本質を鋭く突いています。決して、時の元総理を国葬にした世相に対する断罪ではなく、歴史の中で、常に政治的な時流に流されてきた、世間体の範囲に留まってきた我々の贖罪。そんな自分自身も含めた贖罪。用心召されよ、ネジはとても無くなりやすい。
他にばんば「忠臣ヨハネスのはとこ」
北川聖「食事」が、印象深く残ります。
一年間たくさんの詩を読ませていただき、みなさまへの感謝と敬意と、そして共感を、お伝えしたいと思います。

南浜伊作
今年前半の加澄ひろしさんの作品はいずれも充実していた。最優秀作品の「惨劇」はドラマの構成を吟味した詩で、イメージの展開に惹かれた。世界各地で生命を奪われる戦争が勃発し、惨劇が続けられていることをふまえてこの詩は読まれることだろう。分かりやすい言葉と日常的景色で提示される詩の奥底に沈潜するものを想起する。
優秀作品の橋本敦士さんの「銀河カブ」は祖父への敬愛を、幼年時の記憶と家族の話をもとに、実に素直に再現され読まされる。宇宙船のコックピットを祖父のスクーターでの席から思い描いたことで、家族愛だけでない今日性と未来への想像を引きだし、共働き家族の実情まで見せていて楽しい。
坂田敬子さんの「信濃村開拓団」は重いテーマを内包している作品だが、今はその入口の記憶とその発端を提示したもので、貧しい日本人の一家族が「満州国」開拓団として送りこまれ、現地住民の土地剥奪と民族征服の国策によって、一時的な裕福と異国の風景下の暮らしが、日本の敗戦で暗転する過程が描写される。書かれることで今後の作者の詩作の主題も見えてきたに違いない。期待したい。
木崎善夫さんの「かれのネジ」は、かれが何かをやれば欠落するものが残っているという指摘。通りの向う側には花束を抱えた人びとが「英雄の死」をたたえようと「情緒的陶酔型空間」をつくって行く。その先頭に立って扇動するのは誰か、と立ち止まると違和感から恐怖感にさえなっていく。この国の政治はまさに思考停止型行動だと思考を深めていく。思えばこの一年、政治批判の詩は少なかったようだ。

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