自由のひろば選(2021.3)

自由のひろば選(2021.3)

●自由のひろば 2021.3月号

ヒコクミン   ひだかよし

会うたびにしなやかに成長している
孫たちの姿
それに元気をもらいながら
心の自由がなかった時代の
わたしの年齢に重なる
ヒコクミン
ことばの意味は分らず
良くないときにつかうことばと思っていた

ケンペイさんが突然家に来て
父の本箱や母のタンスをひっくり返して
帰っていった
神棚もなく敵国の神を信じるヒコクミン
赤ちゃんのおむつの干し方が
暗号を送るスパイ容疑にされた
わたしはヒコクミンの子になった

学校で歌うのは軍歌ばかり
軍歌を知らない私に
先生はやさしく ともに歌ってくれた

ある日 好きな歌はと問われ
チューリップの歌をハミングしたら
日本人なら菊の花を歌えと叱られた

毎月八日は戦争の勝利を願うため
全校で町の氏神さまに参拝
ヒコクミンの子が鳥居をくぐると
ケガレルからと そう先生に言われ
列の最後尾 ひとりで鳥居の外を歩いた

ケガレルとは何ですか
そう問いても 答はなかった
ひとりぼっちは淋しかった

戦争が終わり
心の自由よ 永遠に続け
不戦を誓った父の想い
その想いとともに生きてきたわたし
孫たちに このばあばあの声は
どこまで届いているのだろうか

 

 

●選評

都月次郎
戦後生まれの人たちにとっては、信じられないようなことが行われていた時代。一億総火の玉、全国民を戦争に駆り立て、反戦・平和・民主など、今では当たり前の言葉さえ口に出来なかった頃の理不尽な様子が、リアルに描かれている。「おむつの干し方が暗号」等とは、今なら笑ってしまうほどの難癖だが、そうまでしてでも「非国民」のレッテルを貼り、良識人をギリギリと締めつける恐ろしさが伝わってくる。作者が心配するように、こうした体験を知る人はもうあまりいない。最新兵器に乗り込んで、かっこいい! と喜んでいるテレビ番組を見ると、その砲弾で死ぬ人のことを思わずにはいられない。

おおむらたかじ
押さえた表現だが、タイムリーでもあり、すごく惹かれるものがありました。一連の最後、何気ない言葉にリアリティがあります。
二~三連、自らの経験として語る具体にも説得力があります。二連「赤ちゃんのおむつの干し方が暗号…」五連「ヒコクミンの子が鳥居をくぐると/ケガレル…」。カタカナも生きています。戦前回帰の動きの中、またぞろ、ヒコクミンなどと言いたげな者たちがいる。ばあばあの声を忘れない。忘れてはいけない。

草野信子  国家による思想弾圧、抑圧を、ひだかさんは、子どもだった戦時下での体験を語ることで伝えてくれました。それは「孫たち」の世代、次の世代にこそ知らせたい、という強い願いによるものでしょう。易しい言葉が選ばれています。けれど、描かれた具体のひとつひとつには、その理不尽を、世代の区別なく、納得させる力があります。「ヒコクミンの子」になった、小さな女の子の心細さ、けなげさが、だれの心をも揺さぶるからです。

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