自由のひろば選(2020.8)

自由のひろば選(2020.8)

●自由のひろば

乳房の重さ    御供文範

その夜
ぼくは母と風呂に入った
裸電球一個の薄暗い風呂場の湯船から
雪舞いのように湯けむりがゆらめき
時折 冷たい隙間風が頬をよぎる

母とぼくは
狭い湯船で顔を向き合い
からだを沈めていた
するとぼくの目の前に
大きな白いおっぱいが浮かび揺れている
驚きとうれしさのあまり
二つのゴムまりのようなおっぱいを
持ちあげたり揺すったりした
母はくすぐったいとからだをよじる
ぼくはますますはしゃぐ

今思えば 母は
日々の張りつめていた緊張から解放され
つかの間の生の喜びに浸っていたのかもしれない

夫を喪い 三人の幼子を背負い
母子家庭の行く末への不安
風呂に浸かるというのは癒しではなく
ひとときのまやかしだと母は知っていた

湯船からあがれば
雪のように白いふわふわおっぱいは
引力に逆らえずもとの乳房となり
これから苦難な道のりが待っていることを
母は知っていた

その日の昼 騒々しかったのは
父の告別式が営まれていたからだった
ぼくが二歳の時で ずうーっとのちに知った

 

●選評

選評=佐々木洋一
モチーフとしてはよくある題材だと思います。おっぱいに対する想いは、取り分け男の子には忘れることが出来ません。生活を必死で支える母の唯一といっていい安らぎの場所、風呂でのささやかな出来事。赤裸々な母と子の情愛が嬉しい。時代背景もあり、現代とは趣が異なるとは思いますが、このような光景は今でもあるのではないでしょうか。「風呂に浸かるというのは癒しではなく/ひとときのまやかしだ」という認識には迫力があり、逞しいおっぱいの生活感が魅力です。

選評=都月次郎
乳房は風呂の中では浮くのだと初めて知った。入浴は多くの人にとって癒しのひとときのはずだが、それさえも「まやかし」でしかないという、幼子を抱えた厳しい現実が母を待ち受けている。二歳児のかすかな感触を基に、歩いてきた時間をさかのぼって書かれた作品だが、短編小説のプロローグのような静かな語り口で最後も見事な着地になった。

選評=草野信子
描かれている情景は、御供さんが二歳の時のこと。その日にお父さんの告別式があった。そのことを詩の最後でそっと明かす、巧みな構成です。風呂場の様子、湯船のなかの母子の様子は現在形で書かれていて、そこでは御供さんは二歳のままです。くりかえし回想したのでしょう。細部が鮮やかです。回想することで、言葉が記憶の手触りを確かな光景へと育ててくれたのだと思います。「苦難な道のり」を生きてこられたであろうお母さんへの、まっすぐな愛の表現です。

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