第43回(2009) 詩部門入選 高典子
詩部門入選 高典子
1986年広島県生まれ。特技はレシピどおりに料理を作ること、犬と彼の心を読むこと。今は日々成長してゆく長男を抱きしめることが一番のしあわせです。
受賞のことば
詩作は、主人との未来を日記風に描いた「受胎告知された日」を詩人会議に投稿したのが始まり。そして文学中年の父に背中を押され続け、いつしか詩の森に迷い込んでしまいました。瀬戸内の島々にはそれぞれ、いろんな歴史や美しい自然があり、そこに暮らす人々はめちゃめちゃ素朴で人懐っこい。私にできるのはそれらの場所で起こったこと、あるいは起こりつつあることを自分の超狭角レンズ(広角じゃなくて)を通して記述することだけです。「メタファー」よりも人の「動き」を活写したい。現在、蒲刈島に隣接する豊島(とよしま)にある遊女たちの墓を題材にした作品と格闘中です。でも、未完成のまま、子育てに逃避してしまうかもしれません。
献水――蒲刈島からヒロシマへ 髙典子
あの日
かれらが求めたのは
瓦礫の下の泥水
傷口から滴る自分の鮮血
ボウフラの湧いた防火水槽の水
焼死体で埋め尽くされた元安川の水
けっして聖水ではなかった
*
ぼくらは
水筒とカルトンを十文字にかけ
七国見山を目指して
敗残兵のように歩いた
道路は靴底を溶かすほど熱かった
草いきれに押し戻され
立ち止まると
閃光に曝されたかのように
ぼくらの足元から影が消えた
陽炎のなかに廃墟の町が浮かんだ
*
山道の傍らに
整然と植えられた
李や柑橘類が
濃い蓬色の実を結び
海に向いた墓石は
凭れかかる夥しい数の卒塔婆とともに
草叢のなかで自壊していた
振り向くと安芸灘が
水銀のようにきらめいた
*
山頂付近に眠る
真昼の月(水を失った天体)が
「桂谷」を登って行くぼくらを
水音のする杉林へと導いた
「桂 の滝」は
割かれた青竹の先端から吐き出され
脆弱な光の放物線となって
水蘚に覆われた岩肌を叩いていた
束の間の落差で
捩じれ 砕け 飛び散る
そして 窪みを伝いながら凝集し
降り積もった枯葉の下を流れてゆく
*
その水は触れる者の意志によって
それぞれの水に変わる
皺だらけの震える手が掬い取り
病める者に末期の水を与え
あるいは
森は無数のひげ根で貪婪に吸い上げ
鳥は鋭い嘴で臆病に一滴 啜り取る
ぼくらは原爆献水碑に跪き
爆心地から遠く離れた島の水場から
弔いのための僅かな水を授かるのだ
責めたてるように蝉が鳴き始め
広げた画用紙の純白に眩惑されたぼくらは
木炭を手にしたまま
いつまでも水の呟きに耳を傾けていた
*
八月六日
いくつもの読経の流れは
重なり合い
瀑布のような
多声聖歌となって
ぼくらを包み込んだ
けれど
献花台に捧げられた
これぽっちの水で
何万人もの死者の渇きが
どうやって癒されるというのだろう
*
ぼくらの上を
飛行機の大きな影が
静かに通過していった