自由のひろば選(2019.8)
●自由のひろば作品
わたしという存在 むらやませつこ
台所の流しの隅で
ナメクジがじとっと動いている
すろうもうしょんで動いている
貼りつくように動いている
歩いた跡がぬめりぬめりと光っている
塩 塩と叫んで つかんだ手が止まる
世界の片隅で
片目を開けて盗み見している
地球の端っこで
すろうもうしょんで息をしている
蛙がバケツの中で跳びだそうと
助けを求めて 青空を仰ぎ見る
バッタがたらいの水面で草原を
目指して
足をじたばたさせている
地球の隅の島国のそのまた小さな島で
青い海を母として息づいている
珊瑚礁
青い空を目指すことなく
緑の草原に憧れることなく
茶色い土砂に被われていく
島国の片隅にいて
小さく息を吐き
青い空を飽かずに眺めている
あーあ
あごがはずれるまで笑いたい
●選評=柴田三吉
むらやませつこ「わたしという存在」
身のまわりの小さな生きものへの視線。書き出しをナメクジとしたところに虚を突かれました。「すろうもうしょん」のナメクジ。さらに、捕らわれて青空を仰ぎ見ている蛙、草原を目指しているバッタへの眼差し。そこから辺野古の珊瑚へ展開した後半はさらに虚を突かれました。珊瑚は海の底で土砂に埋められていき、それでも黙して耐えている。淡々とした描写が読む者の切実を喚起します。ラストの溜息は世界への憂いに満ちています。
選評=みもとけいこ
むらやませつこ「わたしという存在」
一点の隙もない巧みな構成だと思います。台所でナメクジを見つけた作者、塩をつかんでふとなめくじと自分の存在を入れ替えてみます。カエルやバッタと存在を入れ替えてみます。そして最後に珊瑚礁の存在へと読者の視線を誘います。言うまでもなく基地建設のため土砂の投入が続いている辺野古の海で、土砂を被った珊瑚礁です。わたしという存在はこの日本国で、なめくじやカエルやバッタや珊瑚礁のように、小さく遠慮がちにそっと呼吸している。一人の国民としてけっして主人公ではないと痛烈な批判が、オブラートにくるまれていますが、心に刺さってきます。
選評=佐々木洋一
むらやませつこ「わたしという存在」
島国日本の片隅に生きている作者の自由になれない鬱屈とした思い。同じように、小さな生き物たちの様子からも自由へと這い出したいとの思いを感じ取った。そんな憤りの気持ちがよく表れている作品です。また、珊瑚礁が土砂に覆われ失われていくのは、沖縄に限った事ではなく、地球の到る処の現実。作者の焦りや諦めに変わっていく気持ちが何ともやるせない。末尾の腹からの笑いへの熱望が、救いとも自虐とも本音とも取れ、この作品を締めています。