あさぎとち「部屋」
部屋 あさぎとち
部屋はたしかにそこに存在するが、なにも話さない。
窓から初夏の柔らかい風がそっと入ってくる。白いカーテンが少し揺れる。
外では緑色の草が茂り始めている。
大きな病室に子どもがぽつんと一人でいる。影の作られない四角い空間で、ざわめきは静寂になった。時計の音はしているが、時間が止まる。
凝集する眩しさに抉られた子どもの傷は、この白い広がりで瘡蓋になった。仄かな光以外に囲むものがない世界。こころの水源、ことばの子宮。
少なくとも、黙する部屋はこの子に必要なものを知っている。
子どもはじっとしている。幼さゆえ動けない。いやここでやっと幼さに出会うことができた。
人間だけが呼吸の仕方を学べない。息をしようとすると気管に楔を打ち込まれる。入院後、部屋はできるだけ誰にも廊下を通らせなかった。音をはねつける。入口に立たせない。
ただじっと宇宙にすわる。部屋は自分の狭さをたまに責める。星はただ闇に浮かび、他の星との距離を掴まない。
子どもは少し目を上げる。自分の力でまぶたを開閉させる。天井の隅に小さく光が反射していることに気づく。
壁は白い。掌には深いしわがある。遠くに看護婦の声が聞こえる。外から樹の匂いがしてくる。
部屋は空。
命は、今まさに育とうとしている。