第44回壺井繁治賞 おおむらたかじ詩集『火を入れる』(詩人会議出版刊)

第44回壺井繁治賞 おおむらたかじ詩集『火を入れる』(詩人会議出版刊)

受賞詩集抄


火を入れる


松が鳴る
蓬々と風が吹く
そろそろ来るか、雪の予感

楢の切株に腰を下ろし
ペッ、と梅干の種を吐く
おお、さみい、寒いなあ
飯は食うたし
さて、火を付けるか

これでお仕舞えだ、最期の炭焼きだ
村で炭焼きを始めたのはいつのことだったか
ともかく食えなかったんだな、炭焼いてもな
爺さまがよう話してたど
炭一揆、剛毅だったご先祖のこと

長岡藩栃尾組炭村、飢饉続きで乞食暮し
苛斂誅求に耐えかねて
文政十三年(一八三〇年)、秋
炭焼きで食えるようにせえと
筵旗を振った
ほら貝を吹き鳴らした
黒い足が走った、峠へ
長岡の町見下ろして、男たちが蛮声を上げた
いざ、城下へ、長岡城下へ

けどよ、庄屋と横目が煩く付き纏い
ほろほろ抜け帰る奴もいて、ついに退散
顔に炭塗り真っ黒け
山に散れ、口を開けるな、喋っちゃならぬ

へへへっ、おめえだれだ

アッハハハ、八十二歳の繁蔵が笑う
オレだって村一番の炭焼きだ
隣村から嫁も来た

さあ、火ィ、入れんど


蟻子坂考

坂。桜坂。比礼坂。おんな坂。兵左衛門坂。
小さい村でも山の中だから坂も多い
母の里、一之貝。修験者が開いたという百軒余り。
そのとなりの三十戸、軽井沢。
長岡へと続く森立峠の麓。
二つの集落を繋ぐ道がある。

越後長岡藩炭焼村。
江戸後期、極貧の村から
重い炭俵を担いだ男たちが足跡を重ねた道。

文政十三年(一八三〇)九月。
筵旗振り下ろし蛮声上げた炭一揆。
生きねばならぬと黒い足たちが交差して
駆け上った道。
庄屋と横目に脅かされポロポロと退散した坂の道。

第二次大戦末期。
白木の箱に小石を鳴らし
南方で殺された村の男たちが帰ってきた道。
一九四九年になって
敗残兵の父が
栄養失調の足でぎくしゃく下ってきて
ただいまけえってめぇりやした
とかすれた声で告げた
ここがアリゴ坂。

出稼ぎの兄貴たちが上り下りして
オレたち、いらん坊は出たっきり
今、雑木に埋もれて道の名残りも留めず
村の古文書に残る
みち。
*「堅炭納入のため男たちが蟻のように上ったから蟻子坂となった」、とある


以十六換一両

畑打ちしてたらな
鍬にカチッとあたってな
つまみあげたら、
ほら、これ。
おめえにやる

おふくろが小学生だったオレに手渡した古銭。
『以十六換一両』と浮き彫りされたそれ。
十六を以って一両に換える
と自らを名乗らず控え目な一朱銀。
縦一センチ五ミリ横一センチ、五グラムにもならぬ。

戊辰(戦争)の時にゃ
会津の連中の逃げ道じゃったからな
小判の一枚や二枚、いや二分金くれえあったかも知れんど、もう一度鍬入れて、よおく見てみろ
と笑っていたおやじ。
そんなことはなかろうと豊之助じさま。
一両や一分は言うまでもねえ、一朱だっててえしたゼニだ、落としてそのままってやつはいめえ
まさか、ここで果てたのでもあるめえに……。

五七、八年前の春の珍事。

今もオレが大事に持っている小さな四角片。
一両を今十万円とすれば一朱は六千円余。
よし、ハチとサブ、これで飲んできな、
くらいのカネ。
おふくろが逝って七年。
オレの掌で妙に親しく鈍く光るやつ。

長岡藩の苛斂誅求に呻いた村だ
炭焼き小屋で密かに一揆を謀ったこともある
そんな時代を秘めた小さな塊。
受け取るのが早すぎたおふくろの遺品。


青紙……豊之助の馬

豊之助が死んで五十三年になる、と墓のうしろで兄貴が言った。お盆であった。

そうか、そんなことをお前は知らんかったか。村長だった豊之助じさまが確かに言うとったど。おやじの赤紙より先にタロに青紙が来たってな。役場に馬籍簿があって、豊之助に来た青い紙。真っ先に、村長の豊之助の馬が徴発されたってわけだ。

あれからタロがどうしたか知らぬ。高田の連隊で見たというもんがおったが、中支あたりに見捨てられたんじゃろ、と舞鶴から死なずに還って来たおやじが言うとった。
おやじは一銭五厘の消耗品、タロは何百円もする貴重品、無言の戦士。

そうか、青紙を知らんかったか、先生のお前が。情けねえこっちゃあなあ。
(馬は私たちを見ていた/うつろな目/もう死んでいた馬/ナガサキの馬)
修学旅行の引率でナガサキに行って、被爆した馬に会ったと言うお前。

オレは七十一、豊之助が逝った歳になってしもうた。オレは二代目豊之助、村づくりに精を出してきたが、村が市になってしもうて、オレはしどろもどろしとる。用心堤はオレらが再建して、口細もフナも銀ヤマも甦ったがな、幼稚園も小学校も中学校も廃校になっちまって、兎も鶏もいのうなった。とうの昔、村には馬も牛もいねえ。生きもんがいねえ。

そうか、青紙を知らんかったか、馬の召集令状。……オレはこれから始める。兎と鶏を飼うてやる。生きてるうちに馬を飼うてやる……。豊之助の目が光った。


吊るし柿の嗤ひ

柿の実が赤く熟れて
疲れきったように揺れている
もう村に雪が来るというのに。

あの頃
田んぼを上がったおやじが
柿の木によじ登り
布袋を付けた竹竿を器用に振り回し
一つ一つキズつけぬようにもぎ取った渋柿
夜なべ仕事に一家して皮むきをして
一週間囲炉裏に下げて
軒端に大きな算盤立てたように吊るした
隣もその隣も軒端を算盤にした

やがて雪降りしきる中
灰色のマントを引きずりながら
隣町から
貧乏神みたいに
仲買いの婆たちがやって来て
玄関口で雪を払った

でっけえ家に
ゼニなんぞいらんでしょうが
とくすぐって

二一天作の五
古い算盤
黒い指
文字通りの二束三文
ただよりはいいという
人の良いおふくろたちを盗み見て
歯のない口が嗤ふ
嗤ふ、のだった

……吊るし柿下手な算盤揺らすだけ…… 豊之助


桑の葉の記

朝露に濡れて桑の葉は瑞々しく光り
野良着の母の手に摘み取られる
飯前仕事なのだった
黒い毛蚕たちに丁寧に桑の葉を添え
いとおしむように囁く母
早よう、大きうなれ、いい繭をつくれ

休む間も無く朝飯を作る
田んぼも行かねばならぬ
(年寄りも子どももいる、牛も兎も鶏も)

家中を蚕棚にして桑の葉を食い尽す蚕たち
桑の木を山ほど刈って父や兄たちが背負い
子どもたちは桑いちごで顔を紫に染め
暗くなれば蚕のように藁布団に転がる
シミシミと蚕が桑を食む音が夜に沁む
真夜中に起きて母が差し桑をしていて
寡黙の父がそれを手伝っていたりした
(九月には五人目の子どもが生まれるのだ)

やがて蚕は上簇して繭になり
役場に運ばれてささやかな副収入になった
(そして、なお貧しいのだった)

育んだのはいのちだった
商品になる為に蚕たちは透き通り
やがてそれは村娘の工女たちに姿を変えて
農の営みの屈折した光の中で盆を踊ったのだ
(幾度か、男たちは戦に駆り出され)

今、誰も蚕を飼うものはなく桑畑は荒れ
桑の木たちが共食いするように絡み合う
婆さまの糸車は蔵の奥に投げ捨てられて
七十七歳の長兄が蔵を畳んだ
新しい農を始めるのだという
古い繭を蹴破って農は甦るか
桑の葉を揺らして風が匂う中を
母が、すうっと通り過ぎていく


村の木たちの声が聞こえる

明治初めの世直し騒動で、祖父たちが筵旗おっ立て立て籠もった峠の、その篝火の中から見えてくる峠の大杉。山裾には万作。村を守る気概で用心堤の上に聳える三本の欅。大川に沿う狭い土手に桜と柳。

廃校になった小学校のグラウンドの脇で、時折村のおんなをぶら下げた下がり松は縁起でもないと枝を切り落とされ、そのことでなお、村人たちの頭の中に枝を伸ばした。
家々の屋敷にある柿の木、栗の木、ケンポロ梨、椿に楓。なつかしい村の木たち。

オレが村を出て三十年、おやじがキセルをくゆらせ
(次男坊のお前がついに家を持つか、山の杉の木の十本ほどはお前のもんだ、持ってけ)
とご機嫌で
(切って運んで製材して、とても割りが合わん、立ち木で売ろうにも買い手がねえ、さあ、どうする)
と兄貴が笑った
隣村で爺さまが妻に言う。
(孫のおめえが生まれた時におめえのために植えた桐だ、タンスの一つになればと思うてな、あの紫の花をつけた木使うてくれや)
(輸入材ばかりの、建売住宅には杉も桐も不要です。ありがたいことですが)
と頭を掻いたオレ。
(要らないとは何だ、人の思いやりや温もりが役に立たないとは情けない)

あれから、また二十年、おやじの十三回忌で村に戻ったオレの耳に、聞こえてくるのだ木たちの声が。

薪など要らぬと雑木ごと山を放り出せば、
森が荒れ、川が埋まり、海が死ぬ。
そして、おめえの番が来る


牛を飼うことにした

牛を飼うことにしたのだと兄貴は言った
(馬を飼おうと思うたんだがちっと無理だった)

ついでに兎もな
鶏もな、番いでな
みんな臭えと嫌がったからな
田んぼの脇に小屋作ってな

小学校が廃校になって、幼稚園も中学校もとうに無えんだから
身近に生き物が居のうなって、村の子ども達が見学に来るんだから

そんでな
有機肥料でな
胡瓜も茄子も見事なもんだよ
若えのが堆肥もろいに来るよ

飯前仕事に畔刈りをして
葛の葉を兎に一つまみ
あとを牛小屋に投げ入れる
生き物と居る朝はなんともすがすがしい

長生き出来そうだよ、と兄貴が笑った

山ん中の百姓じゃ食うていけねえ
よう分かっとるよ
だから、息子は会社勤め
あいつも定年になったら百姓やるさ
おめえも食糧危機とやらに備えて
おれら百姓の親戚大事にせえよ
おう、俳句もやっとるよ
趣味だよ、趣味
電話のむこうで喜寿の兄貴の若々しい声がした


 

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