二〇二四年自由のひろば 最優秀作品・優秀作品

二〇二四年自由のひろば 最優秀作品・優秀作品

二〇二四年自由のひろば 最優秀作品・優秀作品

最優秀作品

蟻 坂田敬子

友達から耳よりの話をきいた
ほんとうだろうか
巷に選挙カーが走っている
うわさはそれより早かった
糸電話の糸のように
耳から耳へ伝わった

帰宅して大蔵大臣の母とかけ合った
おねだり党に根負けした原案
コッペパンの懸案は無事通過
母はあんこ
弟はチョコレート
私は苺ジャム
三人の意見は満場一致で可決
色褪せた買い物袋は国会の絨毯
ポケットに予算案の小銭入れ
店は隣町で子供の足で片道三十分

二階家の店は一階が板の間の桧舞台
裏方と出演者がかけずり廻っている
大道具の食パンコッペパン
小道具は色とりどりのジャム缶
十時が開幕らしく老若男女
順番待ちで蟻の行列だ
やっと席順にたどりついた
コッペパンに山盛りにもられたジャム

ここの主が選挙の立候補者
厚化粧のジャムは歌舞伎役者の顔見せ
演説の口上は小学四年生には難しい
甘味に飢えていた時代の演目だ

行列に並んだ人達は一票投じたのか
喉元すぎれば甘さを忘れる
主は勝ったのか
負けたのか

結果は知らない


優秀作品

ひかりのさす庭 橋本敦士

ようやく家にたどりつき
畳のうえのふとんによこたえた母のひたいに
ぼくはぼくのひたいをあわせた

かぜっぽかったので
かぜ薬をのんですこしねむったら
朝がた よくなっていてほっとした

お通夜から 斎場での葬式
棺桶にはいった母が焼き場にむかうときに
もういちど泣いた
おもわぬふたりの女ともだちがきてくれて うれしかった

だれひとりいなくなった家で
掃きそうじをした
あけはなした家のなかの六畳にほうきをついて
ぼくは ひかりのさす庭をぼんやりながめた


白衣を脱いだ日 わたなべとしえ

チリチリと焼けつくような夏が去り
窓越しに見えるのは 秋の青い空

病院で働いていた二十代の頃
地域で保健師として生きる と
白衣を脱いだ
あの日の空は今日のように
青く澄んでいた

今も思い出す
多指症の赤ちゃんとその母に
未熟な私はなんと声をかけたのか

子と同居なのに蛆がわいた万年床で
横たわる高齢の妻とその夫
周りにはインスタント麺の空き容器

彼らが私を保健師として育ててくれた

地域で誰かの役に立ちたい と
白衣を脱いだあの日の願い
誰かの人生に寄り添えただろうか
家庭を持ち母となり
幾星霜を走りながら生きてきた
ふり返れば愛おしい日々を重ねて
定年というゴールにたどりついた

詩が好きな仲間に恵まれて
詩を書くことに支えられている私
ゆったりとした時の流れが愛おしい
悩み我慢した日々も
人生を彩る時間だったのかもしれない

明日からは 詩といっしょに
これからの人生を生きていこう
白衣を脱いだ日の願いを大切に…


瑞牆(みずがき)の山よ 大木武則

山を下る時タクシーに停まってもらった
仰ぎ見た瑞牆の山は青い空に鋭鋒を輝かせていた

昔 山の麓に一つの養護施設があった
或るボランティアの一員として山に通うようになった
教員だったので春 夏 冬の休み
憑かれたように通った
山奥の施設は不便で 水道はなく
川からの水で炊事を行っていた
強い寒冷の中 子供たちの暖房は台所で出る炭だけであった
川から水を引くビニール管の埋設
立木で作った門柱の改修
そして何より子どもたちの勉強のお手伝いを理由に一〇年余り通い通した

何十年振りかで訪れたその地に施設はなく跡地は深い森と化し原生林に戻ろうとしていた
私の青春そのものだった一〇年余りの歳月がその原生林の中で眠り 私は老いて立ちすくむばかり

山を下るタクシーから山は何時までも見えていた
切ないけれど瑞牆の山よ
ありがとう そしてさようなら


選評=坂田トヨ子
坂田敬子さんは、どの作品もご自分の体験を生かし、方法や視点を変えて工夫し、楽しみながら書かれていることに感銘を受けていました。特にこの「蟻」は、戦後のまだ甘い物が十分に味わえなかった時代の庶民の映像が目に見えるようで、その逞しさやユーモアに思わずくすっと笑いながら、流石だなあと。読者を引き込む見事な構成、さらりとした権力に対する皮肉も効いていて楽しくも印象深い作品でした。
橋本敦士さんの詩では母と子の強い絆が印象に残っています。「ひかりのさす庭」もその一つですが、母親の死を受け入れようとする作者。母親を送る儀式を済ませた後の虚脱感、透明感、静けさに打たれながら、読者は作者の思いに寄り添います。無駄のない簡潔な表現は読者のための余白となって。
わたなべとしえさんは、初めて詩を書く喜び、詩で繋がる喜びを表現されていて新鮮でした。「白衣を脱いだ日」は、若い頃選んだ仕事への思いと決意が詩を書くことと重ねて表現されています。困難な仕事に生きがいを見出だして頑張ってこられたことが良く分かります。その体験は今後多くの詩に結実するのではと楽しみにしています。
大木武則さんは、教育の現実を真摯に見つめ、告発するような作品が多いのですが、あくまで作者の体験に基づく優しさ溢れる目線による言葉で、読者にじっくりと問いかけるようでした。
「瑞牆の山よ」では、若い頃通い詰めた養護施設の、変わり果てた現場に立ちすくむ作者の切ない思いが読者の胸に沁みる作品です。
皆様、受賞おめでとうございます。


選評=中村明美
今年度のひろば優秀作品は、選者三人がほとんど同じ着地点に至った。
一貫して、満州引き上げを書き続けてきた坂田敬子さんが、ここにきて視点をがらりと変えて、シニカルで軽妙で、さらに、人間の本質に迫る作品を書き始めた。詩とは、その書き方で世界がこうも変るのか、と驚きつつ、詩に対する大きな希望になった。「蟻」はその優れた一編である。世界に対して、がっぷり四つに組む事も必要だが、視点を少し変えるだけで、世界はこんなにも面白くなる。どう書くかは、どう生きるかと同義だ。自分と世界との間のひと呼吸。これが多様な視点を育てる。一年間坂田さんの詩を読んできて、その詩的世界の成熟を共に喜びたい。
橋本敦士さんは、その透明な抒情性が魅力で、質の高い作品を書き続けてきた。対象との距離をとれるひとで、これは詩人の必須条件です。ことばを極限まで削れるのは、ことばに対する信頼があるからで、それも詩に対する理です。「ひかりのさす庭」は、母を解き放った自然の摂理と、見送る側の内面を描いて、静かな祈りを想わせた。
わたなべとしえさんも、誠実な、読んで身の引き締まるような作品を書いてきた。「白衣を脱いだ日」も、その人生の転機ごとに、事実をしっかり見つめて、生きて、書いた。その姿勢を貫いてきたのは、他者への慈しみに他ならない。作者の想いを抱く詩が、社会へ伝播していくよう選者も応援したい。
大木武則さんは、若き日の教育現場からの作品を多く投稿して頂いた。「瑞牆の山よ」も、その優れた一編で、生徒との温かい交流が時代を超えて蘇る。


選評=南浜伊作
坂田敬子「蟻」
敗戦後の食糧難時代の切実な生活を体験した家族の、ある夕食の回想を骨子に、甘いものを求めて駈けつける蟻の群れや地方選挙の戦いを比喩に織りこんで、詩作のスタイルを創出しようと工夫した作品の一つでした。昨年も優秀作品に選ばれ、今年は詩作を楽しんで書きたいと言ってきた人。来年からはもう「自由のひろば」を卒業して会員作品欄でご活躍下さい。
橋本敦士「ひかりのさす庭」
濃密な母子関係の仲で、母の死を確認する息子の別れの儀式を一通り終わって、自分の生きる先を忘我の思いでみつめています。視線の先の明るい庭に、今後一人で生きていく人生の先に明るい解放感が読みとれる詩です。
わたなべとしえ「白衣を脱いだ日」
病院の看護師から地域のさまざまな問題を抱えて苦しむ人々にかかわる保健師へ決意し転進した自分を振り返りながら、また自分も結婚し子育てもして定年まで働き、今はやっと好きな仲間と詩作にかかわっていくという。まさに詩人会議の詩運動に生きる喜びを表明する作品です。
大木武則「瑞牆の山よ」
長い教員生活を終わり、曽遊の地を旅する人の感懐の詩です。まだ若い教員だった時代に、10年以上も瑞牆山麓にあった養護施設に通って、ここの子どもたちと当時の困難な生活条件の中で勉強の相手をした。何十年ぶりかで訪ねてみると、もう建物もその跡形もなく、深い森と化している。自分の老いた身を含め感懐が胸を打つ詩です。
今年も多くの詩作にふれることができました。感謝です。

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