自由のひろば 2025_05
父の影 有原野分
冷たい潮風に乗って
 吹き荒れる砂がバチバチと
 おれと親父に衝突する浜辺
 凍えそうな波しぶき
 冬の呼吸が止まる度に
 膨らんでいく白波
 俺たちを完全に見下ろして
 砂の上に散っていく
 誰かの影を奪おうとしながら
同じところから歩き出したのに
 二人の距離は少しずつ離れていった
 似たような歩き方で
 似たような速度で
 似たような道を歩いてきたはずだったのに
古希になった親父の足元に
 透明な波が手を伸ばす
 遠くから呼びかける
 いくら声を出しても
 波の音で届かない言葉
 親父と目が合った
 おれはキャッチボールを思い出す
透明な言葉を
 親父に向かって投げる
 親父は落ちていた枝を拾って
 大きく振った
 カーンと音が響いた
白波が一斉に引いて
 親父は次にその辺の石を拾うと
 軽く上に放って枝を振った
 空振りだった
 なんとなくの流れで
 次はおれの番だった
 おれは大きく振った
 背中に親父の影を感じながら
 空振りの先に海が広がっていた
●選評
渋谷卓男
 この詩の良いところは、父と子の関係性が海辺の散歩を通して浮かび上がってくる点です。ラストの一行も胸に残ります。ただ、一連の海の描写はボリュームがありすぎるように思います。冬の海辺ということが伝われば、あとは読み手に委ねるという方法もあるでしょう。その意味では、二連から始める選択肢もあるかもしれません。
中村明美
 詩は潮騒に包まれている。何が起こる訳ではない。日常のひとコマが淡々と描かれている。大いなる自然の中では、ひとの声は届かない。老いた父の足元に忍び込むのは、やがて確実に訪れる死、かも知れない。終連の最後に置かれた一行が、自然の為せることへの、暗黙の了解だろうか。静謐な一編。
横山ゆみ
 父子の距離感を物語る第一連の情景描写から素晴らしかった。「おれ」の想いと「波」が連動する点も臨場感が抜群。五連目で描かれるのは、会話などなくても息子の気持ちをしっかり受け止めそれに応える父親の姿。最後まで表情の記述がない中、確かな描写力によって絆が表現されている。最終連の二人の不器用さがまた良かった。