2022年 自由のひろば 最優秀作品・優秀作品・選評

2022年 自由のひろば 最優秀作品・優秀作品・選評

●二〇二二年自由のひろば
最優秀作品・優秀作品

〈最優秀作品〉 すれ違う  滋野さち

大雪の日にスルリとすれ違った胞衣は
燃されて信濃川を流れて行ったのか。

ショウジョウバカマの好きな姉は
女に学問はいらないと言われ
薄暗い玄関ですれ違って東京へ行った。

働いて働いて父は、
母にも、五人の子どもらにも
ことば一つ残さず逝った。
かけつけた家族の誰とも触れ合わない
まま、一瞬に逝った。

金の卵と呼ばれ、
反抗期を引きずって家を出た。
三人の子が産まれるたび
母は遠くまで来てくれた。
狭い部屋ですれ違う時、
かすかに温かい風の音を聞いた。

一日中輸血しても追いつかず、
小さくなって母は死んだ。
死の前日、見舞帰りの新幹線が、
トンネルをくぐった時
母とすれ違ったのだろうか。
真っ暗な我が家に着いて
老犬が吠えた時
通り過ぎたのだろうか。

あれから何回も夏が過ぎた。
散った白萩が渦巻いて舞っている。
もういないと思っていたヤンマが一匹
フルフルと飛んで来た。
すれ違ったはずのなにもかもが
真っ青に高い秋の空に溶けていった。


〈略歴〉
滋野さち
1947年新潟県生まれ。10代のころは職場の文芸誌に投稿。農民詩人の錦米次郎さんの指導を受け三重詩人入会。20歳で上京し、詩人会議第2期の詩の学校に行き詩人会議入会。その後結婚し、夫の転勤で青森県に住む。


表彰を受けて
子育てや仕事で詩から遠ざかっていましたが20年前に川柳と出会い今は川柳に没頭しています。思いの丈を言い尽くしたい時は、また詩が書きたくなってしまいます。
詩の学校では、土井大助さん、秋村宏さんたちの講義があり終わった後には喫茶店に行き、熱心に語ってくれる壺井繁治さんに感謝しながら青臭い詩論を語り合いました。
50年近く離れていた詩への思いが、また満ち潮のように寄せてくるようでとても嬉しいです。
川柳も詩も形が違っても表現する思いは同じです。
書き続けて行けたらとても幸せなことです。
ありがとうございました。


〈優秀作品〉 帰り道  村口宜史

青空を背にした
大きい、大きい水たまり
空を渡るように
長ぐつの少年がゆく
放課後の
あんなに長かった
帰り道
すべてが、鮮やかな夏
青空を背にして
銀色の機体が
はっきりと見えた
遠い国の惨劇に
満たされた
器、いっぱいの
水が溢れる
あんなに長かった
帰り道
指鉄砲の照準を
合わすと
狂ったように
どこかで、犬が吠えはじめた


〈優秀作品〉問い  大野美波

うまく泣けなくてごめん
こんなにこんなに悲しいのに
うまく泣けなくてごめん
うまく笑えなくてごめん
こんなにこんなに嬉しいのに
うまく笑えなくてごめん

こんな私が母になる
きっとうまく叱れないし
うまく愛せないだろうけど

それでも私の子どもでいてくれますか?


〈優秀作品〉土手  橋本敦士

病を告知されたその日から
この部屋でいっしょに寝てね
と あなたはいった

のどを悪くしていることで
ぼくもどこにもゆけず
ただそれをうけいれた

そこは叔母の家で
いうことをきかない犬をつれて
どこまでもつづく土手を
夕暮れになるとふたりは歩き

おおきな木のあつまるそこらに
鳥の黒い群れが
おそろしい雲のようにゆきかった
人間は母とぼくだけだった


〈優秀作品〉 遠き日  坂田敬子

開拓の成果が撓わに実る
コーリャン畑の海
たしか夏の陽が平和の風に
葉がユラユラ輝やく午後

軍隊から預かって育てていた
シェパード二頭
狼が現れたように鳴き叫ぶ

するとコーリャン畑から
ロシア兵三人が父に向かって
銃口をつきつけ何かいっていた
父は手をあげコーリャン畑の波に
攫われていった

何時間だったのだろうか
父が帰ってきた
獣医をしていた父は
「医薬品の箱を忘れた」と
嘘をつき逃げてきた

日本は戦争に負けた
「五国協和」「王道楽土」は幻
行く当ては信州山本村大明神の故郷
両親 私三歳 弟0歳が財産
犬の鎖をはずした
敗戦で逃げまどう獣道
逃避行の旅は果てしなく続く
無蓋列車は昼は仮眠をとり
星空の絵本と軋る子守歌をきき
ソ連軍機にみつかれば命はない

離したはずの犬が平原を走ってくる
「まだついてくる まだついてくる」
汽車の中は大さわぎ
だが大河を渡りきれず

私は今でも戦争を憎む


選評=おおむらたかじ
滋野さち「すれ違う」は貧しい村に生を受け、生きてきた者の暮らしの重さを感じさせます。女に学問はいらないといわれ東京に出た姉、父の死、金の卵といわれ集団就職で家を出た私。
子どもが産まれる度に遠くから来てくれた母。狭い部屋ですれ違うとき温かい風の音を聞く。病気で死んだ父とのすれ違い。幾度かの夏が過ぎて、秋、季節を重ねてすれ違う、人生のすれ違い。一つ一つの具体も良く分かり、そうですねと共感。一月号の「ウツギの花」も良い作品でした。
村口宜史「帰り道」は「青空を背にした/大きい、大きい水たまり/空を渡るように/長ぐつの少年がゆく」
この長ぐつの少年がいいですね。評者の少年時代と重なりました。短い詩行でしっかりとまとまった佳品でした。
十一月号の「夏祭り」もいいですね。
大野美波「問い」は、新鮮さに加えてテクニシャンぶりも発揮しました。個性的でした。いつもほっとする清新な作品を見せてくれました。二月号の「ビー玉」十一月号の「ブランケット」も良かったと思います。
橋本敦士「土手」ムダのない一連の三行でかけがえのない母と二人を表現。叔母の家で犬を連れて夕暮れの散歩。おおきな木に鳥の群れが雲のようにゆきかう。人間は母とぼくだけ。思いの深い詩行に惹かれました。
六月号の「詩」もいいですね。
坂田敬子「遠き日」敗戦直後の旧満州からの逃避行。力作でした。最後の一行、つい纏めたくなるのですが、ここはやはり一考すべきと思いました。
他に、有原、加澄両氏の作品も魅力的でした。


選評=草野信子
昨年、滋野さんは、詩「忘れる」で優秀賞を受賞されました。本年は〈ひろば〉欄に「ウツギの花」「すれ違う」の二編が掲載されました。ともに、個の感情に深く根を下ろして描かれた出来事が、社会の姿をひっそりと浮かびあがらせていて、昨年以上の詩作の充実を感じました。どちらも最優秀作品にふさわしい作品でしたが、個に比重を傾けた「すれ違う」を推しました。個を語る切実が、表現を、より詩的なものにしていると思われました。
村口さんは、この一年、様々な題材で生の不安、寂寥を描いてきました。なかでも「帰り道」は、少年期の不安を、選ばれた言葉、巧みな喩で描写した秀作です。モダニズムの絵画を思わせる静謐な表現で、現代を生きる私たちの不安を形象化してくれました。
「問い」のなかの、母になる不安を語る率直。不安の源を自分のなかに見つめる目。語りつつ、うなじをあげていく向日性。それらは大野さんの詩に共通する魅力です。つぶやきだけを綴ったかのように見える「ビー玉」のような詩にも惹かれました。
病を得た母を描く橋本さんの詩は、どれも、場面や会話の不安定な切り取り方よって、読後に、母と、息子である作者の存在を、忘れがたく心に残します。「土手」は、橋本さんの表現の
独自性をよく示している一編です。魅了される、という感がありました。
「遠き日」には三歳の坂田さんと現在の坂田さんがいます。描かれた敗戦は、ご両親が語られた記憶や、伝聞などに支えられているものでしょう。記憶を継承していく時の、ひとつの貴重なかたちを見た思いがします。


選評=都月次郎
何をどう見るのか、見えないものをどう見るか、それは詩人の眼なのか? 詩人の眼で見つめているものが滋野さんの作品になっている。彼女の作品の中にはいくつもの川柳も隠れている。詩も句も彼女にはそんなに違わないのだろう。詩人の眼とは何か、人によって様々あろうが、他者の哀しみや痛みを共有する視力だと思う。詩人と言っても、いつも詩人の眼でいられるわけではない。その時の多い人ほど良い詩が書ける。それが滋野さんだ。
村口さんの「帰り道」は短い作品だが、水たまりから見た世界が新鮮に見える。少年時代の映像だが、たくさん描かなかったことで、かえって読者の想像力を広げている。十一月号の「夏祭り」もとても印象的だった。
大野美波さんの「問い」はシンプルだが、思いがストレートに届いて気持ちがいい。透明な魂、言葉が何の飾り気もなく、本気でぶつかってくる。爽やかな汗のようだ。
橋本さんの「土手」も十七行の中に重く暗い時代の日々をぎゅっと詰め込んだ傑作。こんな言葉達はきっと自然に降りてくるのだろう。
坂田さんの「遠き日」は中国大陸からの逃避行の様子がまざまざと描かれていてリアリティがある。いのちからがら生き延びた人々と、大河を渡れなかった犬たち、その両方の思いがじんわり沁みてくる。
なおこの他にも村田多惠子さんの「鬼の酒祭り」(四月号)とサトウアツコさんの「かー」(八月号)木崎善夫さんの「わたしを兵士と呼ぶなかれ」(十一月号)が深く心に残った。足掛け七年良い勉強をさせてもらった。

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