47回(2019) 『歩く』目次ゆきこ

47回(2019) 『歩く』目次ゆきこ

第47回壺井繁治賞

目次ゆきこ詩集『歩く』(詩人会議出版)


●略 歴

一九四一年広島市に生まれる。二十代、広島詩人会議に入会、続いて詩人会議に入会する。香川県在住の時「湖の会」同人(今は退会)、二〇〇三年「折々の会」同人になる。広島県詩人協会会員。
詩集『道』視点社 一九八二年
詩集『在る』   一九九五年


●受賞のことば

ふりかえって  目次ゆきこ

子ども時代本は貴重な存在でした。貸本屋さんの棚の本、四年生の時できた学級文庫、五年生から学校の図書室の本と私の本の世界は広がってゆきました。
戦後まもない日々の暮しは決して穏やかなものではありませんでしたが、一冊の本は私の心の枝を自在にのばし、私の中に何かしら運んできてくれたようです。思いすぎかもしれませんがその中に詩をかき始める種が混じっていたのかもしれません。
広島詩人会議との出あいは二十代のはじめ詩の教室に参加した時です。
主催者の堀ひろじさん、四国五郎さん、兼松さん、木村さんにおあいしたようにおぼえています。本当にゆっくりの歩みですがたくさんの人達との出あいに引っ張られて、今此処に居ると感じます。
詩集『歩く』はその時時の私が一枚の写真のようにそこにいます。誰かに語りかけたい言葉、私自身に言いたいこと、詩の形で自分を表現することで自分の立ち位置を確かめてきたのだなと思ったりします。
「私もそこに一緒にいるみたい」との感想に私の詩の位置が見えます。ぼんやりとしか見えていなかったものが形になって目の前にある、これが私ですと素直に言いたい。
秋村宏さんの編集に感謝です。
素敵な表紙のデザイン、私の過去へのこれからへの街の道すじのようです。ありがとうございました。受賞の通知を頂いて今も実感半分ですが回りの友人知人がとても喜んでくれています。いい詩が一つでもかけたらと思っています。


●受賞詩集抄

洗う

遠くへいけなかった
夕暮れどきの台所で
ザクザクと米をとぐ
磨り減ったまないたの上で
切れ味のわるい包丁で魚をおろす
湯がわき油がはじけ 換気扇がまわり
昨日も一昨日も一週間前も 一年前も
くりかえしやってくる時間

一日家をあけると
一日分よごれた器が流しにあふれている
あふれたものではかる一日

ベランダの洗濯ものは
まだかわいていない
雨に洗われた山の稜線がくっきりと見える

洗うことで新しくなる
洗うことで終わりたいもの
洗うことでつなぎたいもの

遠くへいけなかった私が
今日もあしたも
此処で洗われ続けている

 

現在(いま)

ひと月に一度の予定がある
一週間に一度の予定がある
一度の予定が寄り集まってカレンダーを埋めていく
残った空白に時間が押し寄せる

私は立ち止まる
予定の上に置かれる主語は
私 なのだろうか
予定の場所や時間へ繋がるのは
私 なのだろうか

今日向きあうものに焦点をあわせると
昨日はもう見えなくなる
私は時間の流れのなかで人という道具になる

がらっと音がする
水が氷になって冷凍庫へ落ちていく
ゆっくりと時間をかけて
一言 音を残して落ちていく

私は 今日を記憶の底へゆっくりと落としながら
眠りのなかで私を研ぐ

 

まめ

練炭火鉢の上で鍋が鳴っている
鍋のなかで豆が煮えている
水分と時間をたっぷりと含んで
ひと粒口にいれると
ほろっとほどけるやわらかさ

いつのことだろう
記憶の途中にさりげなく座りこんでいる
数少ないやわらかな風景
あのまま此所が在り続けたら
あのまま此所に居たら
きっと今私は—と問うのはよそう

一晩水にひたした豆を
弱火のガスで煮続ける
口のなかで豆は豆の固さを主張する

うずら豆
もう一つの呼び名があったけど
思い出せない
忘れて程好い暮らしを築いてきたらしい
私は豆の固さでここに居る

 

生きること

明け方の寝床に
黄色い薬の匂いがただよう
どこかに置いたままになっているのか
懐しささえはらんで
あれは夫の病いの何を宥めるものだったのだろう
もう一年近くたつのに
黄色い匂いが明け方の私を訪れる

肺癌です 肺のなかで転移 手術は無理です
これからの治療について医師は語る
夫も私達ものみこむだけの時間
命の重さも軽さもそこに置いたまま
時間はもっとあると信じた愚かさ

三日間の入院の終わり
荷物をまとめて着がえてベッドに座って
子どもの目をして待っていた

予定通り出かけ
予定通り夕方はお酒をのむ
予定通り新聞を読み 友達とあい
予定通り盆は田舎に帰り
家ですぎる時間はあれもこれも予定通り
戦争法案反対の集会へ
車で送ってくれるのも予定通りだったのか

明日に今が繋がることも予定通りと信じていたか
問うても答える声はない
黄色い薬の匂いが消えていく
朝が来る

 

故郷へ

「ただいま」と
見知らぬばあさまが土間に立っている
座布団をすすめお茶を出し
あちらこちら問い合せてわかったこと
何十年も昔 ここから嫁にいった人だった
呆けた心の奥の底で
しっかりとおぼえている
生まれ育った場所に戻ってきた
代がかわり
住む人や家の様子がかわっても
心のなかの奥の底
刻まれた風景はかわらない

目を閉じて私はさがす
心のなかの奥の底
揺すれば鳴る きこえてくる
風に鳴る鳴子 竹やぶのざわめき
屋根を打つ雨の音
路地をゆく下駄の音

背を向けて
いつか遠くなった私の故郷を
「ただいま」と帰っていける

ばあさまは
座布団に深々と座り
暖かいお茶を両手につつんで
故郷にまあるく抱かれている
過ぎた時間のなかで
ばあさまは故郷を抱いている

 

女の子

向こうの方で手をふっている
とても向こうなのによく見える
手を白くふって
「おいで」という
あそこまで駆けていったら
見えるかもしれない
記憶の外側をするするとのぼる
記憶の内側をゆっくりと降りていく
私が見えるかもしれない

真夏の細い一本道
波の音 風の感触
夢のなかの迷路
帰っていく場所をさがしあぐねて
目が覚める

まだ醒めきらない寝床のなかの迷路で
女の子が手をふっている
「おいで」と
もう一度
生まれてきたこの場所に
「おいで」と

 

樹と風と

目を閉じてみる
耳を澄ませてみる

私のそばを通りぬけた風は
もう向こうの樹の枝を鳴らしている
それはあなたの話す声かもしれない
それは幼い子の遊ぶ笑い声かもしれない
掘れば
どこからでもほろほろと
骨のこぼれ落ちてきそうな此処
そんな大地に根を張った
樹々達のことばをきいている

 

おくやみにいく母についていく
四歳の私
ブラウスの裾をしっかりつかんで座っている
(こんな顔になって
あんなかわいい子が)
くる人くる人に
死者の顔をおおった白布をとって
おばさんが繰り返す
ふるえる手を膝の上において

(子どもの方がいい)と
私がおつかいにやらされる
やけどの顔を深く伏せて
(ご苦労さま ありがとう)と
膝のうえにきちんとおかれていた白い手
私は手だけじっとみつめて
おつかいの口上をのべる
坂道を少しのぼって
右へ曲がって 門の大きな家だった

かついできた野菜を玄関の土間において
母が挨拶している
玄関の式台
黒っぽいもんぺの膝におかれた手
あの日の記憶も白い手
街の人の哀しくやさしい手
(息子さん亡くされて
どうやって暮らしていかれるのか)
帰り道 母がひとり言をくりかえす
からになった袋につかまって
(どうやって暮らしていかれる)
(どうやって生きていかれる)
母のひとり言をきいて歩いた

風が吹いて 風向きが変わると
母は窓をしめた 背のびして手をのばして
八月 真夏の午後
くる日もくる日も
墓地のなかほどにある焼場から
白い煙が立ちのぼった

ひょっとしたら
あの日の記憶はあの日のまま
褪せもせず 消えもせず
四歳の私と大人の私がみている
抱くものを失った
女達の手を

 

耳鳴り

高さをととのえて
まっすぐに 聞こえてくる
耳の奥から送りだされる音
何を伝えたいのか
ひたすら鳴りつづける

過ぎていく風景の音
忘れては思い出し 思い出しては忘れ
積み上げた時間の奥から
いつか 一本の矢になって放たれてくる
内から外へ 何を伝えたいのか

聞くことに慣れ続けたものが
聞く形をこわしはじめている

私の立ち止まる横を
追い越していく人の耳に
きらりと光る装飾

 

蕺草(どくだみ)

白い十字形の花びら
心臓形のさわれば臭いたつ葉
確か植えたのは一株か二株
田舎の畑のみぞに群生していた?草
子どもの頃の記憶と重ねてもち帰った
腫物にくりかえし貼り付けて膿みを出す
あの頃の母の治療法

町中の
家の回りのわずかな地面に
コンクリートの隙間に
白い四片の花びらを
濃い緑の葉をひろげている
いつの間にと思いながら引き抜くと
白い長い茎は途中でぷつんと切れて
地中深く己の命を残す

思い出した
被爆体験のききがき
避難した田舎で
乾草した?草の葉を煎じて
くる日もくる日もバケツ一杯飲みましたと
とどけてくれたのは近所のおばあさん
生き残れたのはそのおかげと
話の合間にくりかえされた

地中深く根をのばして咲く
四片の十字の白い花の明るさ
六十数年前も今も続く 生きるということ

 

守りたい

守りたいものがあると
意識の線上にあって
無意識の底にあって
緩やかに私をつき動かしてきたもの

日常の時間の隙間から
時代の裂け目から現われてくるものに抗して
伸ばせばつなぐ手があり
共に歩く足があった
それはいつどこから始まったのだろう
今 私のなかで育んできたものに立ちかえる
守りたいものがあると

それは
とてもシンプルで
とても当たり前のこと
人並の普通の暮らし
自分らしく生きていける場所
今日が明日に続く安心
食べる安心 働く安心 学べる安心 生きる安心
守りたいものは
人 一人の人 個人の存在 尊厳 命

雪の朝
家の前を賑やかに小学生が歩いていく
きみ達の未来に
オスプレイも基地も原発も核兵器もいらないね

ブロックの雪の上に
ちいさな手形がひとつ
開いた花のようにくっきりと在る
私の手を重ねて約束

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