2022年6月号 特集 私にとっての沖縄

2022年6月号 特集 私にとっての沖縄


特集 私にとっての沖縄

宇宿一成 長虹堤
名嘉実貴 首里の街
北島理恵子 クーブ
みもとけいこ 匂う
青木みつお 月桃の花
いわじろう 比嘉君
遠藤智与子 エール
白石小瓶 オキナワに
小田切敬子 しまことば
鈴木文子 島の人情と 潮の匂い
大嶋和子 私が一番輝いていたとき
坂田トヨ子 沖縄の海は
梅津弘子 沖縄への修学旅行
安仁屋眞昭 沖縄は今
宮本勝夫 「沖縄」の自然を
織つかさ 片足立ちで踏みしめる世界で
洲史 東京の街を車で走った
斗沢テルオ キーウへ繋がる空
中正勇 島
志田昌教 沖縄独立論
狭間孝 キーウの桜
やはぎかのう つゆくさの戸籍
黒鉄太郎 命
小泉克弥 ウクライナと沖縄
ゆあさ京子 パラダイス
田上悦子 地図を広げて
小川桂子 沖縄は沖縄のもの
たなかすみえ 流れる先は
杉本一男 島 そして壕へ
水衣糸 沖縄が教えてくれた
秋山陽子 遥かな沖縄
赤木比佐江 有名な演説
風野真季 戦火の迫るとき
原圭治 辺野古新基地はマジムンだから
後藤光治 きけはてしなき
小林圭朋 ヤンバルの森とジュゴンの海
佐相憲一 太陽雨
呉屋比呂志 飢え
鈴木太郎 残波岬にて
菅原健三郎 ふるいふるいメモ
宮城隆尋 うつし世
伊藤眞司 沖縄の友
柴田三吉 傷と書いて

エッセイ
沖縄の波打ち際で  佐々木薫
神を抱く沖縄の詩人たち  網谷厚子
うちなーんちゅの不屈性  早坂義郎
私にとっての伊江島・今  豊島晃司
沖縄の闘いに呼応して全国初の「沖縄返還同盟と日本縦断行進」を組織  滝本正雄
ロシアのウクライナ攻撃の中で「沖縄返還」を再考する  小森陽一

第50回壺井繁治賞  うえじょう晶詩集『ハンタ(崖)』
受賞詩集抄 受賞のことば 選評 選考経過
沖縄が生み育てた詩人  芝憲子

レポート
詩人・小熊秀雄の妻つね子さんの声を聴く会  坂井勝

詩 飯干猟作 歩兵銃

追悼 浅尾忠男さん  石子順

書評
宇宿一成 草倉哲夫詩集『くみちゃんの雲』  アンソロジー詩集『今このとき―九条を』 98
佐々木洋一 新・日本現代詩文庫『佐川亜紀詩集』  木村孝夫詩集『十年鍋』 99

ひうちいし
春山房子 齋藤貢 中上哲夫 碓田のぼる

見る・聞く・歩く 中村明美

田辺修小詩集  ふるさと

私の推す一篇 2022年5月号

四季連載
詩の見える風景・四度目の夏――不法な死と向き合って  杉谷昭人

詩作案内
わたしの好きな詩 茨木のり子  村田多惠子

詩作入門
遠のく戦争と近づく戦争とのあいだで  北村真

現代詩時評 若者が潜む場所 上手宰
詩  集  評 詩人の覚悟は宇宙をも狭くして自在である くらやまこういち
詩  誌  評 花は、鳥は、歌は、ここにある 高田真
グループ詩誌評 やること、敬老会・稲刈り・焼き餅 河合政信

自由のひろば (選・都月次郎/おおむらたかじ/草野信子)
髙橋宗司/立会川二郎/石木充子/橋本敦士/坂田敬子/
井上韶鳳/大野美波/村田多惠子

新基地建設反対名護共同センターニュース
詩人会議通信
●表紙/扉カット/表紙のことば 宮本能成
編集手帳
読者会報告 5月号 芝原靖


●詩作品

長虹堤   宇宿一成

沖縄という
刳り船の形の
細長い島の

よく歌い
よく踊り
よく笑う
日に焼けた人々

あなたたちこそ
中心なのだ

大陸とも
日本とも
つながっていて
はなれている

焼けたけれど
首里城は
この世の真ん中

長い虹の堤は
首里の城から
那覇の港へ
つながっていた
港から城へ
各地の産物や文化が届けられただろう

今も
列島をこえて
つながり続けている


沖縄は今   安仁屋眞昭

二〇二二年三月二十三日
あの沖縄戦で 山に避難を始めた日から
七十七年目のこの日
宜野湾市の西海岸を闊歩しながら 思い出す
五歳六ヶ月の童には 日にちは分からないが
空襲警報のサイレンを恐怖ながらに聞き
家を出て 山に逃げたのは覚えている
親たちの話で 翌日 二十四日は 学校の
卒業式、修了式の日だったと話していたので
思い出すのである
当時 この海原を
米軍の艦船が 海面も見えないほど
集結していたという
大人たちが 海を見ながら
ワイ、ワイ恐怖に満ちてエーエーと叫んでいたのだ
そして その海からの艦砲射撃で
沖縄の 家屋という家屋は灰になり
山という山 その姿を変えたのだ
多くの県民の命も奪われたのである
友軍(当時は日本軍を そう呼んでいた)は
昭和十九年の一月頃
満州から 第三十二軍が 移駐したという
広い家は 兵隊の宿舎になっていた
戦闘の始まる前におきた悲しい事故を思い出す
軍の車で 私と同じ年の男の子が 轢かれて
死んだ事故。道路も狭いし、運転も未熟だったのか
子供も 自動車に馴れてなかったのでしょう
二人姉がいて 一人息子だったという。
戦後七十七年 沖縄は かつて
武器を持たない琉球王国であったと 教えられて
早く そのような国になりたいと願っている。が
日本にある米軍基地の七十%が沖縄にあるという
まだ戦後が続く沖縄 武器無き琉球国に復帰したいと
五歳の童が八十三歳の今 声を大にして叫んでいます


傷と書いて   柴田三吉

傷 と書いて
ことばに包帯を巻きます

かなしみ と書いて
ことばに包帯を巻きます

塗りぐすりはいりません
やわらかい布でそっと
覆ってあげれば

――ことばに包帯をですって
傷やかなしみを傷めず
どのようにして

真白い珊瑚の砂を手のひらではらい
少女はうなじを上げた

ええ、ことばに刺さったトゲを丹念に
抜いてあげるのです。そしてちいさな
布に願いを込めて巻くのです。私たち
の思いはやがて蜜となり、痛みやかな
しみを癒してくれるでしょう。

遠く近く
こどもたちの走りまわる声
午睡の頬を微風がなでていく

目をあけると少女はおらず
足もとに残された指あと

寄せる波が泡となり
ふたつの文字を
繰り返しくるんでいく

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