第48回壺井繁治賞 清野裕子詩集『賑やかな家』(版木舎)

第48回壺井繁治賞 清野裕子詩集『賑やかな家』(版木舎)

●第48回壺井繁治賞

清野裕子詩集『賑やかな家』(版木舎)

受賞詩集抄

記念日に

行ってらっしゃい
朝 いつものように玄関で見送り
ドアが閉まるなりキッチンに戻る

あなたは振り返ったりしなかっただろう
私も 無事駅に着いたかしら
などとは思わなかった
いつものような淡々とした一日が過ぎる

けれど こんな日常がどんなに脆いか
私たちは知ってしまった

あのとき引き留めておけばよかった
あれが最後のメールになりました
そんな後悔や嘆きには
危うく遭わずに
通り過ぎて今日まできた

結婚三十五年は
珊瑚婚 と呼ぶそうだ

傷つきやすく こわれやすく
育つのに時間がかかるもの
いつのまにか根付いた海の底で
ゆらり 生き続けている

 

いつものところから

キッチンに朝が射し込み 昨夜洗った食器を照らしている 赤絵の小皿 青い染付の大皿 磨き上げたグラス 残った水分をふきんに吸い取らせ 食器棚のいつものところに いつもの皿を戻す

深夜のテレビの白黒画面 たくさんの人々が雪深い山道を歩いている スカーフをかぶり長いコートを着て小さなハンドバッグを持った老婦人 コートの裾を踏みながら雪まみれで歩く その前を歩いていた少女が転ぶ 助け起こされてまた歩く

〈アルプスを徒歩で越える難民〉というテロップ 山越えには似合わない華奢なバッグの中には何が入っていたのだろう 眼鏡 小銭入れ 香水瓶… 友だちのところでお茶を飲んでいたのに突然来てしまった というような ふだんそのままの

続いて映し出される〈難民キャンプに向かう人々〉荒野をうつむいて黙々と歩く家族〈傾く船に押し寄せる難民〉海へこぼれ落ちてしまった人はどうなったのか 彼らが残してきた家で 主のいない朝を迎えた食器 テーブル 窓辺のカーテン

いつもの朝 いつものアナウンサーが日米首脳会談の様子を伝える リーダーと呼ばれる男たちの得意げな笑みは誰のための笑顔か 食器棚からマグカップを取り出してコーヒーを注ぐ 今はまだいつものところにある赤絵 青い染付 光るグラス

昨夜落としてしまったガラスの破片が足裏に刺さる 食器棚にはグラス一個分のすき間 じきに他のもので埋まるだろう そこに何があったのかも忘れて 少しずつ 気づかれないくらいわずかに どこかへ向かってずれていく日常

 

数値

医師はカルテとパソコンを見つめていた
白血球 赤血球 GOT GPT
グリコヘモグロビン クレアチニン
HDLコレステロール 尿酸値…
ずらりと並ぶ よくわからない数値

検査結果で語られる私は
臓器であり 数値であり
それらの集合体だ
褒められるのは数値
諫められるのも数値
顔もこころも脱いで
数値だけになった私が
医師の前に置かれている

いつか映像で
グリーンランドの先住民狩人が
仕留めたアザラシを捌くのを見た
毛皮を傷つけないよう
鋭いナイフで皮と身をきれいにはがす
丸く すっぽりと
アザラシは我が身を脱ぎすてて
肉と内臓だけになって
白い雪原に転がっていた

目の前の白衣のひとも
数値を抱えている
処方される薬の名をぼんやり問い返し
悪いことでもしたかのように
小さくなって聞いている

診察室を出ると
コートを羽織り マフラーを巻いて
私の形が整った

街には
ぶつかり合うほど人々があふれていた
みんな服の下に数値を隠している

顔だけは
検査対象ではなかった

数値で測れない顔 顔 顔…
それらに囲まれて
少しほっとしている
自分に帰っていく

 

夜景

峠を越えると風景が一変した。ワイパーを止めたフロントガラスに雪の滴が落ちる。ゆるやかに下る国道沿いの山すそに積み上げられた廃車。うっすら積もった雪だけが 早い日暮れの中でほの明るい。

ここに来るために車を走らせて来た。けれど本当に着く と覚悟する前に着いてしまった。海に注ぐ川沿いの道で予想していなかった渋滞にはまる。国道のカーブに沿って車のライトだけが等間隔で並び ゆっくり海に向かって進んでいた。

夕闇に浮かぶ鉄骨の残骸に引っかかったままの漁の網。コンクリート壁が崩れた病院。看板だけが残るドラッグストア。マンションだった。公民館だった。食堂だった。人々のいた気配が過去完了のまま放置されている。不意に現れたプレハブのコンビニと 屋根もないガソリンスタンド。そこだけに小さな灯りがともり ゆっくりと動く人影があった。

カーナビが「この信号を左です」と告げる交差点に 信号機はなかった。そのまま海沿いの国道を上るうちに 渋滞の列は消えた。すっかり暮れきった山の中腹に民家が点在する。ようやく出会えたくらしのあかり。玄関脇に取り込み忘れた洗濯物が白くゆれる。

あの晩 向こう岸は真っ暗でした。いつもは街の灯りが海に映って きれいな夜景がここからよく見えたのに。ちらちらと火事の炎だけがゆれていました。

高台に建つホテルの 海に面した五階の角部屋。遠いところをよくいらっしゃいました と案内してくれた支配人が指さす対岸に さっき通過してきたあかりのない街が見える。まばらになった車のライトが 海岸線をおしえるように動いていく。

星だけがきれいでした。今夜もたくさん出ていますが こんなものではありませんでした。

そう言われて窓を開けると 冷たい風と 海のざわめきと 白波と見まがうたくさんのカモメ。

千年に一度の災害 という。黒々とした湾のむこうで営まれてきた千年のくらし。それを見守り続けていた無数の星たち あの夜も 今夜も 静かに覆いかぶさっていた。

 

早春の森

空に突き刺さる高い梢を
小鳥の影が横切る
まだ硬い新芽を抱えて
ほんのり赤らむ枝がある

雪が融けてから
芽吹きまでのわずかな間
森は木々の骨格をはっきり現わす

幾度かの嵐があった
大小様々な枝が落ちている
手折られることなく
自らの重みで落ちた枝を拾う

母が逝った
箸で拾える骨はわずかだった
うっすら紫がかった
不織布の繊維のような骨片は
小さな箒でかき集められた

さらさらの粉になって
骨壺に吸い込まれていった母
九十年を生ききって

冷たい空気と明るい陽射し
森の道は腐葉土に覆われ
足裏を柔らかく包む

枯れ枝を踏めば
パキパキと折れ 砕けて
落葉の中に紛れ込み

もうすぐ
生き物を育むぬくもりとなって
新しい緑の勢いにのまれていくだろう

 

ゆりちゃんはまったく口をきかない子だった 日当たりのいい幼稚園のお遊戯室 ちいさなすべり台 積み木 輪投げ こどもたちの歓声と足音が響き渡る そのすみっこでいつも黙って じっとみんなを見ていた

ある日 私は先生に呼ばれた ゆりちゃんと遊んであげて あなたはいつも元気だから 私は年中組でいちばんのお喋り うるさいから少し黙っていなさい しょっちゅう叱られていたのに 初めてお喋りをほめられた

ゆりちゃんのおかあさんが迎えにきて 一緒に家に行くことになった とても遠かった家まで 三人で手をつないで歩いた 先生のこと お弁当のこと 裏庭のひみつ基地 幼稚園でのあれこれを 私はひとりで喋り続けた おかあさんはうなずいて ゆりちゃんはずっと黙っていた

角を曲がると石造りの長い塀が続き 塀をあふれて繁っている大きな木が公園のようだった 突然ゆりちゃんが塀を指さして言った ここがわたしのうち 初めて聞いたゆりちゃんの声

広い家だった 入ったとたん ゆりちゃんが喋り続ける 人形のドレスのこと 外国のおみやげのままごとセット 犬のぬいぐるみにつけた名前 ワォワォ~ン 犬の鳴き声がじょうずなゆりちゃんに ふたりで大笑いした

翌日幼稚園で ゆりちゃんはまた黙り込んでいた 卒業までずっと 声を聞いたことがあるのは私だけだった ゆりちゃんを囲んでいたあの高い石塀 その家から幼稚園にあった見えない壁の中へ 毎日通って みんなを見ていた

別々の小学校にあがって 遊ばなくなって 十年後 高校の廊下でばったり出会った すれ違う時のアッという声ですぐわかった ふりかえって目だけで笑って 小さく手を振って それ以来ときどき見かけた いつもひとりだった

どれくらい後だったか 診察室で再会した 小児科医になっていたゆりちゃん おかあさん どうしましたか? と私には一言だけ それから犬のぬいぐるみを抱きしめた私の息子をのぞきこみ ぬいぐるみの頭を小さく揺らして 犬の鳴き真似をした あの日と同じ声だった

 

〈受賞のことば〉

詩の仲間や先輩に恵まれた  清野 裕子

受賞の知らせを受けたのは新型コロナウイルス対策で東京都民に外出自粛要請が出た最初の週末でした。賞をいただけるのは本当に嬉しいことでしたが、手放しで喜べない不穏な感じが漂っていました。
それは今も続いています。私の仕事である音楽関係は公共施設の閉鎖等ですべての活動が中止になり、それがいつまで続くのか見通せません。ふえる感染者数に追い詰められるような毎日です。日々変わる状況の渦中にいると現在の自分の立ち位置がよくわかりません。後で振り返って医学的にも社会的にも冷静に整理してやっと「そういうことだったのか」と納得したり、「やっぱり違う」と考え直してみたりするようになるのでしょう。その時にこそ詩の出番があると思います。
詩人会議に参加したのは二十代半ばでした。それから結婚し、仕事をしながら子どもを育て、親たちを見送り、ひとが人生で直面しそうなことは一通り経験してきました。それらのひとつひとつが私に詩を書かせたと思います。特に母が長く心を病んだことは私に大きな影響を与えました。ひとの心と体の繋がりや、弱さ強さ不思議さについて考え続け、多くを学びました。
何か問題にぶつかってもそれがなんとか詩という形になった時「大変だったけれど詩が書けたから、まぁいいか」と納得するようにしてきました。そんなふうに前向きにやってこられたのは、いい詩の仲間や先輩に恵まれたからでもあります。おかげでたくさんの刺激やヒントを受け取ってきました。
これまで私を支えてくれた多くの方々、理解し続けてくれた家族にも感謝します。ありがとうございました。

〈略歴〉
一九五二年東京都豊島区に生まれる。
武蔵野音楽大学ピアノ科卒業。
日本現代詩人会、日本詩人クラブ、詩人会議、武蔵野詩人会議会員。『冊』同人。
既刊詩集
『近似値』(一九七九年)
『電話’83』(一九八五年)
『時の形』(一九九二年)
『冬の便り』(二〇〇五年)
『緩楽章』(二〇一二年)
『to coda』(二〇一五年)

 

●選考経過

第四八回壺井繁治賞選考委員会が三月二八日(土)、詩人会議事務所で開かれ、清野裕子詩集『賑やかな家』(版木舎)の授賞をきめました。
選考会は、秋村宏、上手宰、佐々木洋一、田上悦子、三浦健治の選考委員五氏出席で開催され、互選で上手宰氏を選考委員長に選出しました。司会進行・南浜伊作。
会員、会友から推薦された候補作のリストを確認、選考対象としての吟味後、一九詩集を選考対象にすることを確認しました。一委員につき五詩集を無記名投票の上、次の一一詩集を第一次選考通過としました。
伊藤啓子詩集『ユズリハの時間』、いわじろう詩集『いつもと同じ』、大塚史朗詩集『糸と冬』、きみあきら詩集『歩く』、栗原澪子詩集『遠景』、河野俊一詩集『ロンサーフの夜』、後藤光治詩集『吹毛井』、呉屋比呂志詩集『ブーゲンビリアの紅い花』、坂田トヨ子詩集『福岡県筑後地方の方言詩 問わず語り』、清野裕子詩集『賑やかな家』、村川京子詩集『いつむなゝや』。
それらへそれぞれ討論し、次の九詩集を二次選考通過としました。〇伊藤啓子詩集、〇いわじろう詩集、〇大塚史朗詩集、栗原澪子詩集、〇河野俊一詩集、後藤光治詩集、〇呉屋比呂志詩集、〇坂田トヨ子詩集、〇清野裕子詩集。
各詩集について討論、第三次選考通過として〇印の七詩集を選び、さらに各自推したい詩集を述べ、第四次選考通過は、伊藤啓子詩集、大塚史朗詩集、河野俊一詩集、坂田トヨ子詩集、清野裕子詩集の五詩集を選出。討論を重ねて第五次で、清野裕子詩集に授賞を決定しました。
(記録 編集部)

●選評

自分を確かめる力  秋村 宏
清野裕子詩集『賑やかな家』に親しみが湧いた。なぜ作者は家族を描きつづけているのか。それはおそらく自分を明らかにしたかったのだろう、と思ったからである。自分をみつめる力が、家族の存在を簡潔に伝える描写へと進んでいてわかりやすい。いまの社会のなかの一隻の〝家族という舟〟の内外の日常。そこで作者は、自分を全開して言葉を探している。その心のひだがみえ、生の明るさがいい。
伊藤啓子詩集の、東北に住む作者の生の陰影がみえる鋭い感性。大塚史朗詩集の、群馬の農民の旺盛な創作エネルギー。坂田トヨ子詩集の、九州筑後の方言を使う意欲。それぞれ独自な詩想と方法を示していて魅せられた。

言葉の探求と家族の再発見  上手 宰
清野裕子さんの『賑やかな家』はタイトルとは逆に静けさに満ちた家である。言葉とは何かの探求の真摯さと、立ち去る者を送りつつ家族を再発見していく成熟した視点が心に残り第一に推した。河野俊一さんの『ロンサーフの夜』も愛娘の死を抑制された筆致が胸に迫り忘れられぬ詩集となった。
発想の新鮮さではいわじろうさんが強く印象に残った。荒削りだが今後に期待したい。また、生きることの傍らに常に詩があると感じさせる大塚史朗さん、生の裏側の陰りへ引き寄せられそうな鋭敏な感性で日々を描いた伊藤啓子さん、老いの空間から現代を照射する村川京子さん、方言の魅力を引き出す坂田トヨ子さんに心ひかれた。

快活な詩集『賑やかな家』  佐々木 洋一
検討の末残った5詩集は、それぞれが独創的で、どれを推したらいいか迷いました。伊藤啓子詩集『ユズリハの時間』は、東北の陰影やしがらみなどを背後に秘めながら、非日常や現実を感性鋭く抉った作品。大塚史朗詩集『糸と冬』は、旺盛な創作力と過去や日常などを独自なヒューマニズムで語った人生詩。河野俊一詩集『ロンサーフの夜』は、病の我が子の成長と死を見続けた詩人の真摯な魂のありか。坂田トヨ子詩集『問わず語り』は、九州筑後の方言を用いた意欲的な取り組み。最終的に、鋭い視点で日常の断片を見据え、快活な言葉で描いた清野裕子詩集『賑やかな家』が、本賞にふさわしいと思いました。

ユニークな視点で達者な描写  田上 悦子
清野裕子詩集『賑やかな家』は、誰もが経験する日常の出来事の一つ一つに、独自な視点で切り込みを入れて描き、個性的な詩がたちあらわれています。表題作の「賑やかな家」を始め、「数値」他、想像豊かな詩篇の数々、物語性のある「声」や、神戸の大震災は自分にとっていいことだったという青年の言葉に心を止めた「あのとき」など、個人的な共感を呼び起す詩篇もあり、読み応えのある詩集でした。他に坂田トヨ子詩集『問わず語り』は、方言自体が詩であり、自分もその土地で生きた気がしました。河野俊一詩集『ロンサーフの夜』は、3歳から26歳までの娘の生涯を、その時々に書き止めまとめた胸打つ描写の闘病詩集。

自分の言葉を探しながら  三浦 健治
清野裕子詩集『賑やかな家』を推した。日常の違和に発して、それを一般通念で処理せず、自分の言葉を探しながら対象に迫っていく詩法だ。ある意味それは芸術のオーソドックスであり、何十年も基本に忠実に詩に向きあってきた姿勢に脱帽した。
坂田トヨ子詩集『問わず語り』は味わい深かった。母が筑後方言で人生・生活を語る形式だが、母のせりふで作者も登場するし、戦争の時代も間近に浮びあがる。
大塚史朗詩集『糸と冬』は戦中戦後の庶民を記録しようと記憶の細部を話体で表現した。作者の生きた証でもある。

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