第41回(2007) 総評・選評

第41回(2007) 総評・選評

総評

柴田三吉 背後に時代の重さを沈めて

今年も「詩部門」「評論部門」に、幅広い年齢層の方々から多くの作品が寄せられました。例年同様、人が持ちえる豊かな感情、思考が、ここには満ちていたと思います。
いまの時代にあって、詩を書くことは、自己と自己、自己と他者、自己と世界の関わりをもう一度確認したい、変えていきたい、という思いの表われなのではないでしょうか。それゆえにテーマや表現方法は異なっていても、一つ一つの作品は、どれも背後に時代の重さを沈めていて、胸を打たれるものがありました。
今回は、すぐれた作品が多く集まったことも印象的でした。表現として、詩でしか表わせないものがあり、それを言葉に定着する営みがよくなされていると感じられたからです。何を書くにしても、言葉と丁寧に向き合うことが、人の荒廃に抗う第一歩なのだと思わせてくれたのでした。
結果は発表のとおりですが、「詩部門」の、四次選考に残った十二編の力は拮抗していて、各委員が入選作に推した作品も多岐にわたり、それぞれ独自の魅力を湛えていました。「評論部門」は受賞作が出ませんでしたが、前川幸士さんの「わたしはまちがひだった」は、作者独自の批評がもう少し書き込まれていればと残念でした。
入選の加藤万知さんは十六歳。佳作の方々も、十九歳、二十八歳、三十一歳と、若い人たちとなりました。これは選考委員が作者の年齢を意識したわけではなく、あくまでも作品の力によって導かれた結果です。
とりわけ加藤さんは、自分の生きる現実を的確な言葉で表現したことが評価されました。他者の痛みを自らの痛みへと転化する想像力。外側からではなく、内側からのリアリティとして痛みが差し出されているからこそ、読む者に届き、心を打ったのでした。
葛原りょうさんは、言葉に込められた熱気が孤独な生を新たなものにしていきます。りょう城さんは、身体の有限性からはみ出ようとする心をうまく捉えています。森美沙さんは、心象的な情景と文体が気持ちよく溶け合っていました。


選評

新しき詩の世代の登場  葵生川 玲

今回の最終盤の入選を選ぶ投票の際に、加藤万知三、葛原りょう二、りょう城二と三人に分かれた。確かに三人三様の魅力のある表現で、確かな力量と独特な世界を構築しつつあるもので、誰が受賞してもおかしくないと思った。しかし、話し合いの中で、大勢は十六歳という加藤さんの年齢とその現実を「サカナ」を通して捉える目の新鮮さが受け入れられたのだと思う。継続して詩の表現を続けられるか未知数だが、ともかく新たな作品の登場である。
佳作の森美沙さんも十九歳。方言を使って、柔らかく表現できている。驚くべきことである。
詩へ向かう新しい世代の登場が実感でき、ある種の興奮を覚えた。


時代を映しだす若手の登場  赤木 比佐江

今年の詩人会議新人賞は若い書き手が目に付きました。学校でのいじめ、ワーキングプアと言われるような企業優先の考えがまかり通る時代に、若い人の瑞々しい感性が切り込んでいる。それがこれからの行く手に灯となって輝き続けることを願います。
加藤万知さんの「サカナ」は自分達をサカナにたとえ、教室の日常と、クラスメイトKへの連帯を描き十六歳の表現として見事。りょう城さんの「体」も書き出しから引き込まれた。森美沙さんの「急に放り出された気分やわ」は父と見た煙突群に突き刺さる夕陽、母の再婚、少女のけなげさ。葛原りょうさんの「鉱石」はくわんという音に生きる痛みとあやうさが伝わる。


若い世代の流れ  秋村 宏

今年は、若い世代がしっかりと自己表現している、とおもった。それは、自分という存在を外側からみようとする眼をもった若い人たちが現れた、ということを意味している。
加藤万知さんの「サカナ」は、心と体で感じたいまの教育の中身を表現し、その感性と言葉がみずみずしい。森美沙さんの「急に放り出された気分やわ」の語り口のおもしろさから溢れる暮らしの匂いもいい。ともに詩作の初心の力が光る。ほかに譽田さおりさんも。
それらと対比するように、葛原りょうさんの「鉱石」と、りょう城さんの「体」は、自己をみつめ、格闘する、その技倆が高い。
今回は、二つの流れが目についた。


新鮮な比喩で  菊池てるみ

入選作「サカナ」に、不登校の生徒がいることに馴れてしまっていたことを気づかされた。この瞬間も、悩み揺れながら生きているのだ、ということをすてきな比喩を使って描き出している。読んでからは、高校生が皆サカナに見える。最後まで喩がぶれていない。
佳作「鉱石」 言葉があふれ、流れ、うずまく。美しい。
佳作「体」 存在の意味、不思議さを、自分の体をとおしてみつめる。
佳作「急に放り出された気分やわ」 お母さんの手が小さいのに胸をつかれる娘。どぎつくなく素直な表現。
若い人たちに、自分や自分の居場所をよくみつめた作品が多く、とりたい作品がいっぱいあった。先がたのしみ。


「鉱石」を推選  田上 悦子

「サカナ」の作者が十代であるのは喜ばしいかぎり。世相を反映した空虚な教室の様子から個人の意識の深みまで、一篇の詩として過不足なく描いています。冷静な目と豊かな情感で織上げられた作品。心を打たれました。
「鉱石」生命への慈しみを感じ、五感も刺激されました。血の味と匂い、形象化された命、痛みと響きに取込まれて躊躇う事なく私は入選作品に推選。
「体」は〝かぎ型の月の…端〟の行で見事な詩が成立。あくがれでるという古来のことばの現代版を思います。
「急に放り出された気分やわ」題名、〝胸焼け〟〝あくび〟他、方言など魅力的な言葉が随所にちりばめられ、最後まで読ませる作品でした。


りょう城「体」の世界  中村 明美

りょう城「体」を入選に推した。形而上的なもの、ワタシという、入れ物としての体に収まりきれないものは、いつの時代も文学の生まれる場所であった。それをサラリと一編の詩として呈示し、ことばに一切の無駄もない。詩人の仕事はこうありたい。葛原りょう「鉱石」は透明感に満ちた美しい詩だ。ただもう少し整理できる。その点が惜しい。森美沙「急に放り出された気分やわ」は十九歳とは思えない力量。昭和の匂いさえする。入選の加藤万知「サカナ」は魚ではなくサカナと書くことで現実との境界線を曖昧にする手法。それが、したたかでいい。評論は、自分がこの時代の詩人を発掘してやる、という気概ある作品を切に望みたい。

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