第39回(2005) 詩部門佳作入選 長崎太郎

第39回(2005) 詩部門佳作入選 長崎太郎

詩部門佳作入選 長崎太郎

1929年長崎生まれ。
狛江詩の会の後、詩と思想研究会で研鑚中。


受賞のことば
戦前戦中戦後、高度成長バブルそして崩壊と昭和ひと桁はイビツな属性に悩まされ、戦争の子としての烙印に抗いつつ遂に終期が近づきました。戦場の直接体験こそないものの激動の時代体験を後世に遺せぬものかと考え抜いた末の結論が現代詩による表現でした。今後はひと桁人間の切実な原風景や心に焼きついていることの語り部としてお役に立てるよう努力したいと思います。どうもありがとうございました。


風呂屋    長崎太郎

今日は風呂屋の開くとげなよ―――と

噂はすぐ街の通りば駆け抜けて行った

誰も何日も風呂に入っとらんやった

確か一週間ぶりの風呂たい

 

「早よう行かんば入り損ねるけんね」

と皆口々にゾロゾロ一列に並んで

風呂屋の暖簾ばくぐった

中ではみんなガヤガヤ

嬉しゅうなって喋りながら服ば脱ぎよんなっと

脱衣場では子供もふざけて走り廻りよる

「やかましか、おとなしゅうせんね、バカモンが!」と、おじさんの叱りよんなる

 

湯舟の中は

あぶくのごたる白か泡のプカプカ

浮いたり沈んだりしよる

「どうしてこげん汚かとね」

と、子供の奇声

目ば据えてじっと見る

首までつかったおいの目の前で

ギラギラ光る網の目状のあぶく

垢のごたるブツブツの細かとの

からだにひっついたり離れたり

上下運動しよっと

 

あぶくば手のひらで除けながら

みんな安心してぬるか湯につかっとんなっと

やっと元気のでてきた

「ぬるか――ぬるか――」て言いながら

それでも風呂は風呂たい

戦争は終ったばってん薪ものうなって

燃料の足りんこともみんな分っとると

 

「電気のほんに暗かァ電気も足らんとやろ」

誰かが呟く

向い側の暗か隅で

じい様のやおら入れ歯ば外しなる

湯舟の中でていねいに洗い始めなった

上気した顔は満足しとんなっと

珍らしがって子供達の目の

一せいにそっちば向きよる

「じいちゃん、こげんよか風呂でほんによかったたい」

「おうおう………」

と、じい様のエビス顔

 

戦争の時は

みんなあげん忙しかったとに

久し振りの風呂たい

じい様も大人も子供も

今、いも洗いの平和の嬉しゅうしてたまらんばい

戦争はなか方がよか、戦争は忙しゅうしてたまらんけん

ばってん戦争は人の死ぬけんね恐ろしかと

 

湯はぬるかったばってん

敵機に追い廻され逃げ廻って

最後は原爆に傷めつけられた

昨日までのことば

みんな湯の中でじっと

しみじみ思い出しよったとさ

 

*長崎の市街地で原爆投下地点よりかなり離れた所では全面破壊を免れた家屋もあった。

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