第37回(2003) 新人賞総評・選評

第37回(2003) 新人賞総評・選評

総評 新鮮で清新な詩的熱気を 佐藤文夫

今年で三七回を迎える詩人会議の新人賞は、その第二次選考に選ばれた八五名+四名(評論部門)を年代別にみてみると、十代・十三人、二十代・九人、三十代・十六人、四十代・十五人、五十代・十六人、六十代・八人、七十代・五人、(年代不詳・四名)となっている。なおこの第一次選考の作業には、選考委員のほかに青井耿子、青木みつお、小森香子、樋野修、南浜伊作の五名が加わった。
ところで、この「新人賞」の「新人」とはなにか。毎年、選考の場で問題となるところだが、辞書をみると「新顔・新たに加入した人」のほかに「新進・新しくその社会に現れた人」の意が書かれている。すなわち「新顔」も「新進」も、一切年齢には関係がない。今回応募された十代から七十代にいたる方々、一人一人の原稿からたちのぼる詩的熱気は、まさしく「新人賞」のみがもつ、世代に共通した熱気であった。
さて、その寄せられた多くの作品を、私なりに大別すると、テーマは別として日常の生活からえられた、詩的な感動なり感覚を、そのまま紙上に書き写したもの。さらにその対象への単なる描写にとどまらず、執拗に推敲をかさねて書かれたもの、の二つであった。
だが問題は、その感動と詩的感覚(と作者が自負するもの)とが、いかに表現され、新人賞にふさわしく、新鮮で清新なものであったかどうかだろう。そして、それが一篇の詩として、読者の胸にどう届いたか、どのように響いたかであろう。
かくして、選考は、三次、四次、五次と選考委員相互の討論と採点を経てすすみ、六次選考には入選・佳作者と立石百代子、水田佳の六名がのこされた。また評論部門では「詩人・河上肇」の宮下隆二と「十五歳のアリアー夭逝の詩人 杉尾優衣」中原文也の二名がのこされた。さらに最終選考の結果、詩部門は入選・木目夏、佳作・宍戸ひろゆき、いがらしのりこ、三田麻里。評論部門は入選はなく、佳作・宮下隆二に決定した。
入選された木目夏の「植民地的息」は、夜、台所で家計のやりくりに四苦八苦し、思案する主婦の溜息吐息を作品化したもので「ライオン」「ポイントカード」などによるその表現のユニークさが評価された。日常の暮らしのなかに充満する溜息吐息を、カロリーやお金だけでなく、人の怒りに変換していこうという発想がよかった。
佳作・第一席の宍戸ひろゆきの「凍土を掘る」にみる生活実感をこめた重厚な反戦平和への思いも、私は切実にうけとめた。いがらしのりこの明るい恬淡とした叙情。三田麻里の生活をユニークな視点からとらえた自在な発想も評価された。評論部門・佳作の宮下隆二は、河上肇という不世出の経済学者の、その知られざる詩人としての一面をあくまでも今日的立場で、多方面にわたって探究している。その視点の確かさと、真摯な研究内容が評価されたが、今一歩、惜しくも入選にはいたらなかった


選評

新しい出発を 秋村 宏

入選佳作の詩、評論もふくめて、それぞれの書き手に新しい出発を感じさせるものがあり、祝福したい。
入選の木目夏さんの「植民地的息」は、日常の題材をみる発想がユニークであり、今後、生活的な詩を深めることができるだろう書き手である。
宍戸ひろゆきさんの「凍土を掘る」は、国外の問題をひきつける努力が感じられる。
いがらしのりこさんの「この町」は明るく、明快。歌の心地よいリズム感も。
三田麻里さんの「人とうさぎと白文鳥」は、寓喩が効果をあげているし、作者の息づかいも感じられる。
評論の宮下隆二さんの「詩人・河上肇」は河上を詩人としてみる切り口が新鮮。
ほかに、真咲、金屋敷文代、立石百代子、織田英華、新屋敷弘子さんにも注目。


激戦の最終選考 荒波 剛

第一次、第二次と読み進むなかで、最終選考に残るのはこれかな、と思ったのがほぼその通りとなった。
入選作品「植民地的息」は、台所を預かる主婦として頭の中にライオンが居ると言う発想が面白い。そして獣でなく人間としてこの現実に立ち向かおうとする心意気。ただ、題の付け方はこれでよかったろうか。
佳作「凍土を掘る」を私は「入選」に推した。過酷なアフガンの冬に死んでゆく子供たちの報道、八ケ岳山麓で生ごみ用の穴を、凍土を化した庭に掘る作者に、極寒の地に埋められる小さな遺体が思いやられる。
佳作「この町」は魅力的な作品であった。「思い切って訪ねてきた」大切な人はどんな人だったろう、と想像する楽しさ。
佳作の三田麻里さんの作品はいつもイメージ豊か。立石百代子、水田佳両氏も入選させたかった。甲乙つけ難い、が実感です。


女性の作品に注目 鈴木 文子

木目さんの「植民地的息」は、家計を預かる主婦の怒りが大胆なイメージで描かれ、裏打ちされたユーモアに作者の人柄が見えて新鮮だ。最後の連も決まっている。宍戸さん「凍土を掘る」は、今書かなければならないモチーフに挑戦していて好感を持ったが、残念ながら主題を強調しすぎたようだ。いがらしさん「この町」は、言葉に無駄がなくリズムもあって気持ちのいい作品だ。三田さんの「人とうさぎと白文鳥」は、作者の個性が発揮された力のある作品だが、後半が舌足らずだ。前半だけで良かったと思う。惜しくも選外になってしまったが、立石百代子さん、真咲さん、新屋敷弘子さん、水田佳さんなど、女性の作品に注目した。今後がおおいに期待される。宮下さんの評論「詩人・河上肇」は、巧みな論旨の展開で読み応えがあった。中原さん「十五歳のアリア」はもう一歩だった。


若い書き手の活躍 鈴木 太郎

入選の木目夏さんは「自由のひろば」でも活躍しているひとり。「植民地的息」は日常生活の断面を巧みな比喩によって表現しています。冒頭の展開から主題がきっちりと確立されています。ユニークで新鮮な感覚が生きた作品といえます。

佳作の三篇。宍戸ひろゆきさんの「凍土を掘る」は、八ケ岳南麓高原に住む実感と、アフガニスタンの難民キャンプ地を同一視線でとらえた存在感があります。いがらしのりこさんの「この町」は明るくさわやかな印象を与えてくれます。魚を売る小母さんの笑顔が生きています。三田麻里さんの「人とうさぎと白文鳥」は、うさぎや文鳥に仮託して自己の内面を表現した逆説的な面白さがあります。
今回、若い書き手の個性的で多彩な作品群に出会うことができました。竹内志歩さん、美異亜亜さんたちの作品も印象的でした。


言葉を味方に 高鶴 礼子

全般的には一生懸命さの伝わってくる作品が多かったが、構成、言葉の選択、題のつけ方などの点において、書き過ぎ・切込み不足・逆効果・付き過ぎといった問題を抱えている印象が歪めず、一語一行のために推せない無念さを感じる選考であった。
入選の木目夏「植民地的息」はやや大仰ではあるものの、日常に拘った位置からの怒りを表白。題と第一連が印象的。宍戸ひろゆき「凍土を掘る」、もう少し掘り下げが欲しいが、「掘る」という同一行為からアフガンに導く手法は買える。いがらしのりこ「この町」は爽やかな語り口。町に住む人を書くことによって大切な人を訪ねて来た弾けるような思いを描き出した。三田麻里「人とうさぎと白文鳥」、おもしろい想で筆力もあり達者さでは随一。決着のつけ方は一考の余地ありか。評論ではやや立論不足ではあるものの、宮下隆ニ作品が楽しめた。


詩として立つ意思を 中村 明美

入選なしでもやむを得ない、という心づもりで選考に臨んだ。ことばがことばのままで止まるなら散文の領域である。なぜ詩なのか、詩が内包する言葉の重層性、詩として立つ意思、それらを提示する作品が少なかった。その中で三田麻里「人とうさぎと白文鳥」は独特のアイロニーが魅力だ。ひとであることの悲しさは、詩というものの始まりに常に在るのだろう。いがらしのりこ「この町」は、さわやかさと透明な明るさで好感を持った。宍戸ひろゆき「凍土を掘る」は、素材に既視感がありそれを突き抜けることが出来なかった点が悔やまれる。入選の木目夏「植民地的息」は日常からの切り口に斬新さがあったものの、それ以上の展開がなく終連も物足りない。他に星野幸雄、石原ようこの作品が心に残った。評論は、詩人の内面と時代に、冷徹に降りていく宮下隆ニに、今後を期待したい。

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