第55回(2021)佳作 小田涼子

第55回(2021)佳作 小田涼子

●母のミシン  小田 凉子

使わなくなったミシンありませんか
ある日 電話の声が尋ねてきた
そう言えば 押し入れに
母のミシンが長い間眠っている

五人姉妹だった母
台湾の家にはシンガーミシンがあったのよと
自慢げに言っていた母
和裁も洋裁も習ったという娘時代
手先が器用で針仕事は得意だった
トランク一つを提げ 内地に引き揚げた戦後
鹿児島 岡山 香川と住み家を求めて
転々とした時代
金もない物もない時代
着る物はすべて母の手縫いであった
母がその頃 一番欲しかったものは
ミシンであったのだろう
テレビも冷蔵庫もないわが家に
中古の足踏みミシンがやっと来たのは
戦後十年をすぎてからであった
一日の日雇い仕事を終え
夜なべ仕事に
洋裁の本をあれこれ広げて 型紙を作ったり
端切れ屋で手に入れた布地を広げたり
母は時間を忘れて
女三人の服を縫っていた
足踏みミシンが電動ミシンへと変わり
母は ますます服作りにいそしんだ
ボタンにもこだわり
小さくなった服はリメイクしたり
ミシン仕事の母はいつも機嫌がよかった
母の手仕事は
八十の齢まで続いた

玄関先に来た買い取り業者
母のミシンに
これには値はつきませんが
船で東南アジアに行きますと言う
戦後の困難な暮らしのなかで
母を母らしく 輝かせてくれたミシンが
今度は
海を越えて
自立を目指す女性たちに
力を貸すのだ

 

受賞のことば
ここ十年ほど応募を続けてきた新人賞。その憧れの賞に入賞することができた。じわじわと喜びがわきあがってきます。まずはこのコロナ禍の困難な中、選をしてくださった皆様、そしてお世話をしてくださった事務局の皆様に深く感謝いたします。
還暦を過ぎて細々と身の回りの事を書いてきましたが、これが詩と言えるものなのかといつも自問しています。私を他者に伝えることは詩ではなく、演説であると聞いたことがあります。事実に頼らず「思い」を伝えるにはどんな書き方があるのだろう。毎月の「詩人会議」に届けられるたくさんの詩に探ってみる。でも悲しいことに硬くなった頭と心にはなかなか入ってこない。自分なりの書き方で書くより仕方ないのかと居直ってみたり。
詩人会議、100円詩集、プラタナスという発表の場があることが励みです。これからも老眼に鞭打って、しっかりものを見、言葉を紡いでいきたいです。

略歴
1946年香川県生まれ。1968年神戸市立学校教員になる。60歳の時、初めて投稿した詩が新聞に掲載され詩を書き始める。2012年詩人会議に入会。2019年兵庫県現代詩協会入会。

コメントは受け付けていません。