第55回詩人会議新人賞(2021年)

第55回詩人会議新人賞(2021年)

◎第55回詩人会議新人賞
詩 部 門 ■入選(賞状・副賞五万円)
吉 岡 幸 一  名前
■佳作(賞状・副賞一万円)
生 田 麻也子  羽化
小 田 凉 子  母のミシン
渡 邊 あ み  青いマフラー

評論部門 今回、入選・佳作はありません

 

●詩部門

名前  吉岡幸一

「あなたの名前を教えてください」
照りつける真夏の太陽のした
母は庭のひまわりを背にして言いました
クルミのような丸い瞳をして
まっすぐに僕を見ながら聞いてきたのです
からかっているようでもなく
通りすがりの人に道を尋ねるように
用心深い笑みを浮かべていました
息子の名前を忘れた母
おそらくは息子だということも忘れた母
近寄って名前を伝えると
「ああ、そうだった」と頭を掻いて
眩しそうに目を細めていました

「わたしの名前を教えてください」
色づいた紅葉が地面を落ちるころ
母は枯れ木に水をまきながら言いました
妻は夏に産まれた赤ん坊を背負いながら
庭に白い洗濯物を干していました
何気なさをよそおって名前を教えると
「ああ、そうだった」とため息をついて
かなしそうに枯れ木の枝をつまんでいました
妻の背中で眠る赤ん坊の髪が風にゆれ
実のならない柿の木には烏がとまり
隣の家からはカレーの香りがしていました
母は葉が芽吹くことがない枯れ木に
いつまでも水をやり続けていました

「名前なんていりません」
今年はじめて庭に雪が積もった日に
母はひとりで雪だるまを作りながら
部屋から眺める赤ん坊にむかって言いました
コートも羽織らずマフラーも手袋もしない母
うすい寝間着のまま庭にでて
一生懸命に雪をすくっていました
あわてた父がコートを持って
庭にでて無理やり着せると
「ああ、そうだった」と襟元をしめて
恥ずかしそうに雪を握っていました
きゃっきゃっと窓辺でわらう赤ん坊
雪は父と母の頭に積もっていました

「名前を思い出しました」
庭から見える山に桜が咲いたころ
母は日々草の種を花壇にまきながら
どこか嬉しそうに言い出しました
バーベキューの用意をしていた僕ら家族は
驚いて手をとめて母を見ました
「ああ、そうだった」
「わたしの名前はお母さん」
母は両手を空に向かってひろげました
どこからか桜の花びらが飛んできて
はしゃぐ子犬の鳴声が聞こえてきました
焼きあがった串を手渡すと
母は美味しそうに食べはじめました

僕ら家族は潤んだ瞳でほほ笑みながら
母の食べる姿を静かに見つめていました

 

受賞のことば
この度は歴史のある本賞を受賞させていただき誠にありがとうございます。望外の喜びに身が引き締まる思いでいます。今年に入り、すぐに母が他界しました。本詩「名前」を書いたときには母はまだ存命していましたが、詩を書いている時すでに予感というものはありました。本詩に書かれた母の姿が現実の母の姿というわけではありませんが、だからといって全くの創造物というわけでもありません。事実と創作、現実と理想、思い出とその純化、悲しみと諦めが混ざり合っているといえばいいのでしょうか。書かれているものと、書かれていないものがあれば、書かれていないものこそを私は現わしたかったのかもしれません。詩を書くことは自己の救済でもありますが、書いて発表するからには他への救済にもなれば良いと願ってやみません。本賞をいただき、詩を書き続ける勇気をいただけました。本賞の重みに羞じないようにこれからも書き続けていきたいと思っています。

略歴
福岡市在住。明治学院大学卒業。現在はデザイン関係の会社を経営しながら詩や小説を書いている。受賞歴として、第3回岡本彌田詩賞「特選」・第38回TO―BE小説工房「最優秀賞」・ARUHIアワード「ARUHI賞」等。

 

 

●羽化  生田 麻也子

歳をとり
丸くなる背の中で
飛び立つ為の羽が育つ
腕はたるみ
風を抱き込み
味方につける準備をする
骨は軽くなり
助走のいらない羽化に
脚は萎えていく
髪は薄く細く白く
空の色に染まりやすく
柔軟になる

タンポポの綿毛のように
旅立ちは晴れが良い
しかし
降り立った時と同じで選べない
それは多分
天へ向かうものと
地へ向かうもので
きっと空が
わさわさするから

羽化は一瞬
姿は見えない
でも
ああ今飛んでいっちゃったと分かるのは
魂の重さ分すっと軽くなるから

重たい雪が降ると
飛び続けられなかった魂が
ずんずんと積もっていくようで
その白い冷たさは
辛く悲しい

雪がとけだし
陽がゆらゆらと輝き
空気が動き始めたら
私は光に向かって
小さく手を振る

見えない
知らない
誰かに届く気がして

受賞のことば
この度は新人賞佳作ありがとうございます。
沢山の作品の中から拾い上げていただき、信じられない思いです。積雪で外出できない私に代わり、締切り日に投函してくれた夫にも感謝です。
多くの方々の目に触れるのは、嬉しくもまた怖くもあり、亡くなった友と、私の腕の中で19歳と5か月でいってしまった猫を思いつつ、受賞の喜びを少しずつ味わっています。黄昏ていく道に、ぽっと灯りを見つけた気もしています。
ありがとうございました。

略歴
1949年宮崎県生まれ、鳥取県育ち。15年位前に小説家の友に出した手紙が「詩のようだ。」と言われ、詩作開始。7年前その友の病死で、詩作中断。今回、新聞の「詩人会議」の文字に惹かれ、詩作再開。

 

●母のミシン  小田 凉子

使わなくなったミシンありませんか
ある日 電話の声が尋ねてきた
そう言えば 押し入れに
母のミシンが長い間眠っている

五人姉妹だった母
台湾の家にはシンガーミシンがあったのよと
自慢げに言っていた母
和裁も洋裁も習ったという娘時代
手先が器用で針仕事は得意だった
トランク一つを提げ 内地に引き揚げた戦後
鹿児島 岡山 香川と住み家を求めて
転々とした時代
金もない物もない時代
着る物はすべて母の手縫いであった
母がその頃 一番欲しかったものは
ミシンであったのだろう
テレビも冷蔵庫もないわが家に
中古の足踏みミシンがやっと来たのは
戦後十年をすぎてからであった
一日の日雇い仕事を終え
夜なべ仕事に
洋裁の本をあれこれ広げて 型紙を作ったり
端切れ屋で手に入れた布地を広げたり
母は時間を忘れて
女三人の服を縫っていた
足踏みミシンが電動ミシンへと変わり
母は ますます服作りにいそしんだ
ボタンにもこだわり
小さくなった服はリメイクしたり
ミシン仕事の母はいつも機嫌がよかった
母の手仕事は
八十の齢まで続いた

玄関先に来た買い取り業者
母のミシンに
これには値はつきませんが
船で東南アジアに行きますと言う
戦後の困難な暮らしのなかで
母を母らしく 輝かせてくれたミシンが
今度は
海を越えて
自立を目指す女性たちに
力を貸すのだ

 

受賞のことば
ここ十年ほど応募を続けてきた新人賞。その憧れの賞に入賞することができた。じわじわと喜びがわきあがってきます。まずはこのコロナ禍の困難な中、選をしてくださった皆様、そしてお世話をしてくださった事務局の皆様に深く感謝いたします。
還暦を過ぎて細々と身の回りの事を書いてきましたが、これが詩と言えるものなのかといつも自問しています。私を他者に伝えることは詩ではなく、演説であると聞いたことがあります。事実に頼らず「思い」を伝えるにはどんな書き方があるのだろう。毎月の「詩人会議」に届けられるたくさんの詩に探ってみる。でも悲しいことに硬くなった頭と心にはなかなか入ってこない。自分なりの書き方で書くより仕方ないのかと居直ってみたり。
詩人会議、100円詩集、プラタナスという発表の場があることが励みです。これからも老眼に鞭打って、しっかりものを見、言葉を紡いでいきたいです。

略歴
1946年香川県生まれ。1968年神戸市立学校教員になる。60歳の時、初めて投稿した詩が新聞に掲載され詩を書き始める。2012年詩人会議に入会。2019年兵庫県現代詩協会入会。

 

●青いマフラー  渡邊 あみ

いつも喧嘩ばかりしていても
心は繋がっているものなのだと言う

言ってはいけない二文字を言っても二人は
今日も明日も昨日のように暮らす

不思議だ

手術の日に祖父は青いマフラーをしていた
几帳面に並んだそれは多分
祖母の編み目

ずっと病室の外で新聞を読んでいて
心配しない
素っ気ないフリをしていて
暖房で火照る顔でも外さないマフラー

手術室に向かうエレベーターホールで
手を優しく握ってみた祖父に
祖母はパパ菌が移るわと笑った
滅菌の世界に消えていく祖母は幸せそうに
祖父は心配そうに目を合わせた

マフラーをつけたまま
青いマフラーを外さないまま
長い時間を過ごした
弥生の空に星が浮かんできた頃
祖母の麻酔がようやく覚めた

祖父の目に映った祖母
祖母の目に映った祖父
安堵し揺れる瞳
そこにもやはり青いマフラー

 

受賞のことば
この度はこのような歴史ある賞をいただき、ありがとうございます。この詩は祖母が手術をし、病院から自宅へ帰る間に作ったものです。言葉を交わさなくても、祈りは伝わる、それを繋いだものが青いマフラーだったのだと、想像が膨らみ、コロナ禍の不安な心に温かく溢れてくる言葉を留めようと詩作したのを覚えています。
詩を続けられたのは、短歌があったからだと思います。短歌は私の創作の基となり、表現の工夫によって、遊ぶことの楽しみを味わうことができました。各々の感受性によって受け取り方が変わる作品を目指すことで、読んで頂いた相手から予想もしない感想が返ってくることが面白く、苦手な散文にも挑戦することができたのだと思います。無理に纏めようとせず、表現の企みが生かせるようにすることが今後の詩作の課題です。この賞を頂けたことを励みに文芸創作の幅を広げて行きたいと思います。本当にありがとうございました。

略歴
2002年徳島県に生まれる。本年3月徳島県立阿波高等学校卒業。

 

●総評
高齢化社会の中の人間 柴田三吉

コロナ下で詩人会議事務所が使えないため、選考会は上野文化会館の応接室を借りて行いました。
まず詩部門は一次通過の八七篇を対象に、各委員が推す作品を一〇篇前後提出して選考を開始しました(高田真氏は仕事の都合で欠席、書面での意見を反映)。評価を得た一四篇を二次通過とし、それぞれについて意見を述べた後、三次通過の一〇篇を選びました。さらに入選・佳作候補五篇を選出して議論し、最終の投票は行わず、入選作一篇、佳作三篇を決定しました。
今回の特徴は高齢化社会を反映したテーマが多く、そこに優れた作品が多く見られました。反面、社会的なテーマは意見の表明にとどまるものが多く、詩としての創造力がやや弱かったように思います。コロナを扱った作品も一定数見られましたが、まだ詩としての熟成が足りませんでした。
入選作の吉岡幸一さん。認知症を発症した母親を見つめる目に惹かれました。自分のことが分からなくなった母親ですが、家族の見守りによって「お母さん」であったことを思い出す。そこに役割ではない、一人の人間の、存在のあり方が示されています。
佳作一席の生田麻也子さん。老いを受け入れ、身体の衰えを飛び立つ鳥にたとえた一連目の描写が秀逸でした。後半の穏やかな心境から描かれる覚悟も美しく、そこに詩としての滋味があり、私は新人賞に推しました。
同二席の小田凉子さん。ミシンという道具を通して、母親の半生が丁寧に描かれています。ラストでミシンが海を越えて役に立つというところで大きな広がりが生まれました。
同三席の渡邊あみさんは高校生。祖母が編んだマフラーを通し、祖父母の絆、愛を真っ直ぐ見つめています。読後に清々しい思いが残りました。
評論部門は一次通過二篇でしたが、受賞作なしとなりました。田中半島さん。井上光晴についての論考は詩を前面に押し出して欲しかったです。星清彦さんは鳥取の女性作家、田中古代子と、幼い娘千鳥を掘り起こしていますが、資料が少なく、作者の推測による論となってしまいました。

●選評

コロナ禍を越えて
葵生川玲
コロナ禍の日々を生きる言葉が、広く生命の存在を考え、より深まることを、入選の、吉岡幸一「名前」から受け取ることになった。象徴としての名前がとり戻される場面に感銘を受けた。
佳作の、生田麻也子「羽化」は、人間の死の瞬間に飛翔する魂の姿を映していて鮮明だ。同じく小田凉子「母のミシン」は、この国の戦後の貧しい暮らしを体現するものとして、さらに後進の国々へと移されるものとして、時代を捉えている。
渡邊あみ「青いマフラー」も、祖父、祖母二人の関わりの中に、明るく青いマフラーがあって、爽やかな世界だ。
選外だが、水野照子「姓は水野 名は清司郎」は痛快な作品だった。

コロナの時代と詩
青木みつお
吉岡幸一「名前」。入選おめでとうございます。母の老いが名前を手がかりに描かれ、家族、作者の受容と理解が静かに展開し、心にひびく。
生田麻也子「羽化」。歳をとることは避けられない。老いという言葉も鳥という言葉もない。渡り鳥のように飛び立つのだとしたら、美しいと思う。
小田凉子「母のミシン」。母なる人の気品まで伝わってくる。つい先頃まで縫うことは、女性の心の世界でもあったことを思う。
渡邊あみ「青いマフラー」。祖父と祖母の交感の情景を、若い魂がほほえましく捉え、描いた。ご精進を願う。
評論は入選、佳作に至りませんでしたが、次の機会に期待します。

寸評
高田真
入選の吉岡幸一さん「名前」は詩として破綻なく整い、完成度の高い作品だった。認知症の母を優しく見守る家族の存在、母に対する作者の眼差しが愛と尊敬に満ちている。母の老いを自然に享受しているその姿勢にも感動した。佳作の生田麻也子さん「羽化」は近しい人の死を見送る心情を蝶の羽化の比喩にうまく重ねた命の歌になっている。小田凉子さん「母のミシン」は思い出の詰まったミシンが異国の自立を目指す女性たちによって再利用されるところに希望と喜びをつなぐ。渡邊あみさん「青いマフラー」は祖父母の細やかな心の交流を見つめる眼の温かさが素敵だ。評論は論旨に独自の展開がなく入選佳作には届かず残念だった。

「老い」の捉えかた
南浜伊作
今回はコロナ禍の自粛生活の影響か中高年の作品が多い印象だった。入選の吉岡さんの「名前」は母堂の老いの深まりから子息の名を聞いたり、嫁さんにご自分の名を問うなど認知症の日常が労わりの眼で描かれる。筆致に優しさとユーモアがあり、人生の哀愁を漂わす詩です。佳作一席の生田さんの「羽化」は老いを変化し転生し飛躍することと捉え、明るい詩。二席の小田さんの「母のミシン」は台湾からの引き揚げ生活の一家を支え、80歳まで働いた母親の足踏みミシンだが、中古で値もつかない。が東南アの女性を助けると、亡母の生涯を辿る契機。三席の渡邊さんの「青いマフラー」は祖母の手編み、手術室入口で待つ祖父の愛。

●選考経過
第55回詩人会議新人賞への応募は、詩部門で五五一名、評論部門で一〇名になりました。
今回の選考委員は葵生川玲、青木みつお、柴田三吉、高田真、南浜伊作の五氏。
選考会は二月一二日の午後、東京上野の東京文化会館で選考委員長には柴田三吉氏を互選で選出し、行なわれました。そして前掲のとおり詩部門の入選者一名、佳作入選者三名が決定されました。評論部門は入選・佳作なしとなりました。
∧詩部門∨
最終候補として(第五次通過者)波平幸有
および入選者(以上五名)
第四次通過者 田島廣子 田住三省 オノカオル 山川茂 水野照子 および第五次通過者(以上一〇名)
第三次通過者 坂本ユミ子 上田赤鬼 土室寧二 上野崇之 および第四次通過者(以上一四名)
第二次通過者 伊藤彰一 遠野辺墨 葛岡昭男 大野美波 加藤純恋 いいむらすず
かどさとこ 藤川六十一 早坂零 大川原弘樹 仙波寛人 浜本はつえ 桐木平十詩子 酒本裕次郎 奥村岸雄 古屋淳一 池田久雄 中舘公一 矢﨑俊二 渡邉美愛 石井厚子 網野秋 日野笙子 サトウアツコ 田村きみたか 東島雄二 いしざきかつこ および第三次通過者(以上四一名)
第一次通過者 滝音吉 市橋のん エダ はわ 木月愛美 澤村健太郎 大和田宏樹 廣田罔象 志田恵 大江豊 三ツ谷直子 雨宮信夫 高藤典子 水衣糸 平田正子 阪南太郎 石木充子 中村実千代 おのたかお 宇里直子 青柳泉 妹背たかし 高木直浩 緒方萌子 寺田知恵 辻岡真紀子
大倉大史 やまもとさいみ 桑原広弥 西村美衣 阪井達生 藤坂宏子 塚田学 薇々烏梨医 野々美柊 佐々木淩 岡堯 時枝かおる 飯泉昌子 相田尚子 首藤教之 静川雅史 藤﨑正二 星清彦 こまゆ
山附純一 および第二次通過者(以上八七名)
∧評論部門∨
第一次通過者 田中半島 星清彦(以上二名) 入選者なし

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