第49回壺井繁治賞(2021年)永山絹枝著『魂の教育者 詩人近藤益雄』

第49回壺井繁治賞(2021年)永山絹枝著『魂の教育者 詩人近藤益雄』

永山絹枝著『魂の教育者 詩人近藤益雄』

●永山絹枝受賞著作抄

目次
Ⅰ 魂の教育者詩人近藤益雄「戦前」
一、長崎綴方教育の創始者
二、益雄と第一童謡集『狐の提灯』(上志佐小時代)
三、第二童謡集『五島列島』(小値賀小時代)
四、文詩集「勉強兵隊」と童詩教育
五、リアリズムとヒューマニズムの道へ
――児童生活詩として長い詩を――(田平尋常高等小時代)
六、地域の文化を高めるために〝貧困との闘い〟
――児童生活研究所の創設――(田助尋常高等小時代)
七、決戦体制下の混迷と葛藤の中で
――「人間・益雄」を支えた短歌会(平戸高等女学校時代)――
八、短歌集『火を継ぐ』
――どうしたって黙っていられるものか 愛するものを死なしてしまって――
Ⅱ 魂の教育者詩人近藤益雄「戦後」
九、民主国家・民主教育建設への道①
――綴方復興・胸のおどること!――
十、民主国家・民主教育建設への道②
〝益雄が夢みたものは〟貧しさからの解放、ゆたかさの建設
――学校を村の文化の源に 田助中教頭・田平小校長時代――
十一、知的障がい児教育の歩み①「みどり組の誕生」
――これがほんとうの私のイス あたたかな日のこどもがもたれてきたり――
十二、知的障がい児教育の歩み②「書くことの指導」
――言葉の感覚を磨くことは生活感情を美しく豊かにする――
十三、知的障がい児教育の歩み③
「みどり組への偏見」――君たちはどう生きるか――
十四、知的障がい児教育の歩み④
――入所施設「のぎく寮」の創設 一九五三~六一年――
付録 朗読劇脚本「のぎく寮」
脚本・演出=高知「劇団the創」西森良子
十五、第二詩集『ちえおくれの子たちと』
――新美南吉と八木重吉と――
十六、第三詩集『この子をひざに』
――ちえおくれの 子どもたちと――
十七、第四詩集『春あさき水にきて』
――親子・家族の絆のなかで――
十八、第五詩集『痴愚天国』
――のぎく学園となずな寮 益雄のめざしたものは?――
十九、最後の詩集:第六詩集『木のうた』
――最終章一、「愛と平和への願い」――
二十、最後の詩集:第六詩集『木のうた』
――最終章二、殉教「智恵の遅れた子等への救世の道」

 

一、長崎綴方教育の創始者
私は近藤益雄の生き様に共感する事が多い。それは長崎県の綴方教育の創始者だからというだけでなく、彼の繊細な感受性と一筋さ、人生の選択方法と立ち直り方そして弱さと激しさに、なにがしかの通じ合いを見るからにちがいない。
歴史の反動の激流に流されそうになりながら、それでも、「すべての子どもたちの平和につづく幸せ」という広い見地に立ち返って、自分も共に生かされる道を見つけた益雄。支えたのは、いまや彼の血と肉となっていた「生活綴方」だったし、なにより幸せなことは、家族の応援と支えが得られたことだろう。
また、全国には厳しさにも耐えながら「明日を夢見て実践に励んでいる」風雪の仲間たちとの連帯・交流があった。
【時代の中の近藤益雄】
(1)大正デモクラシーのなかで育てた民主主義の素地と書くこと・創作することの喜び。
(2)戦争という時代の暗黒の中で、軍国主義教育に精一杯の抵抗を示しながらも、その激流に飲み込まれざるを得なかった益雄、深く傷ついた益雄。
(3)慚愧の思いで我が身を削ってしか生きられなかった益雄の前に知的障がい児教育という道が拓かれていった。彼らとの日々の中で本物の教育を見出し、喜び、悲しみ、怒り、地域の変革(社会教育)まで広げようとした益雄の歩み。その遺産は、「魂の詩(叫び)」として残され、息子・「近藤原理」に受け継がれていった。

益雄は、一九〇七年三月一九日、佐世保市で益次郎・マスの一人っ子として生まれた。父親は四十歳で早々に亡くなっておりマスが和裁塾を開いて親子二人の生活を支えた。
長崎県平戸市の県立中学猶興館に学び、「質朴剛健」を旨とする校風の中で、文芸サークルをつくり、大正デモクラシーの影響を窺わせる社会評論「恵まれたる者」を同窓会誌に発表。
一九二四年三月 長崎県立中学猶興館卒業。五年間にわたる中学生時代を終える。その卒業記念集合写真の裏側にペン書きで次の様な詩を記している。

青春の墓場は静である/葬られてゆく 私らの心は/淋しくもまた かなしい/物事はざる石の如く…/墓石の一つ一つは/それ ぞれ/六十名の人の胸に漂う/追憶の墓標/青春は/マグネシアの如く/燃ゆればいい/太陽のてらすがままに/光り輝けばいい/そこに艶麗な花が 咲く

この詩は、益雄が後に自省するようにセンチメンタリズムに溢れているが、太陽が照らすがままに輝かそう、そこに自ずと道が見えると謳いあげてい
る。
また、「城ヶ島風物詩四篇」の一つとして掲載ある「朝」は、光に満ちる清々しい朝の風景で労働者の姿も視点となっている。


嬰児が無心に熟睡からさめるやうに/島の家は朝の静かな窓を開ける/太陽は碧空に温かい光を躍らし/つゝましげな雀は/ひそまつた家の間の黒土に/明るい小唄をうたつて餌を求める/海は凪だ 温かい青さだ/海鳥の純白な羽搏きが/静かな律調で島の朝を賑やかにする/私は今朝もこの晴朗な情景に心を躍らして/四合の米を瀬戸物の釜でといでゐる/その傍を素朴な朝の挨拶をして通るのは/島の漁師の健康な顔である
(同人文芸「海軟風」第二巻第二号・一九二五年)

十一、知的障がい児教育の歩み①
「みどり組の誕生」
――これがほんとうの私のイス
あたたかな日のこどもがもたれてきたり――

若葉はのびる みどりいろ/空から静かな 陽のひかり/草にかわいい 露のたま/みんな なかよく いたしましょう/子どもはのびる みどり組/窓からあかるい 陽のひかり/へやに楽しい笑いごえ /みんな 勉強いたしましょう

校長の椅子を自ら捨てて、一九五〇年、口石小学校に精薄児のための特殊学級「みどり組」を始めたとき、このニュースを伝え聞いた人々は驚き、さまざまな反響を寄せた。「近藤益雄はなぜ障がい児教育に入ったのか」。しかし、益雄自身には極めて明確な理由があった。

「精薄児といえども人間である。人間であるからには、人間が人間として享受すべき文化を、やはり精薄児も豊かに享受しなければならない。」
と、ラジオのインタビューで語っている。生活綴方教育で培われたリアリズムの眼は、精薄児の無限の可能性を信じ見つめる眼であった。どんなことをしてでもこの子らに人間としての条件を備えてやらねばならぬと考えていた。

秋の日なたに
こんなところに、おまえがいた/ジャングル・ジムのうしろの、ちいさな日なたに/土をあつめては、ちいさな手のひらにのせ、/それをこぼしては ちいさな土の山をつくって 石ころのように わすれられて/おまえが、いた/「何年生?」と たずねても こたえない/「だれ先生の組」ときいても こたえない/いまは 授業時間なのに/教室から にげてきて/そのよごれた手に/土をいじって おまえがいた秋の日なたは/ほかほかとして あたたかく/ジャングル・ジムの格子のかげは/おまえのうえで/すこしづつ うつりうごいていっておまえは とうとう ほんものの石ころになっていた「せんせーい。せんせーい」/かわいいこえが、教室からは きこえてくるのに/おまえは 石ころになってしまって /すきな先生を よぼうともしない/だから 先生もおまえをわすれてしまった/先生は 石ころなんか すててしまった

当時の障がいを持つ子どもの状況や教育事情なのであろう。授業中なのに相手をしてくれる先生もいない。石ころのように忘れられた子ども。人間として扱われない、悲しさ、悔しさ、憤りを内に秘めて益雄は障がい児教育に奮闘していくのである。

(2)おちばのうた・木のうた
(一九五七・八〈昭三二・三〉年頃の作品)
益雄の魂が沁みこんだ遺言の詩群のよう思えてならない。
読み進むにしたがって心がひりひりと張り裂けそうになる。
益雄はそれより前から死と向き合って、覚悟して詩作をしていたのではないだろうか。最期の益雄の心境を読む上でも、大切な魂の叫びの詩群である。

「『自分は知恵の遅れたこの子等にすべての魂も身も尽くし果てた。最善の道をここまでやって来た。これでもうよい。この上は神のみそばにゆくのみだ』と、かすかに声が聞こえてくるようである。」と、富永南冠氏は弔辞に詠んだ。

おちばのうた
もはや/梢にかえるすべもなし/冬のつちに/ちりしかれは/いちまいのかれは

散りいく枯れ葉と一体化してしまった益雄。「もはや」のことばが痛々しく辛い。
きょうも/あさがくるおちばは/みずにしずんだままいつのまにか/あさがくる木は/毎年毎年/たくさんなかれはを/おとしてきた/ことしもたくさんおとし/来年もまたたくさんおとす/どうせおとしてしまうものならば/土にかえしてしまうものならば/木は/はっぱなんかつけまいとおもったけれども/ことしもたくさんなはっぱをつけ/来年もまたたくさんなはっぱをつける/それをむなしくおもい/そして木は/だまってたっていた

朝が来ると新しい希望と活力が湧いてくるはずだけど、子等との日々が始まるはずなのだけど、沈んだまま寡黙になってしまった益雄。

おちばよさようならと/こずえはよんでいる/くちるものはくち/のこるものはのこり/だれにしられることもなく/なにのかなしみもなく

朽ちるのも残るのも、しぜんのままに…。

わがいのちの/おわりの日にこそ/神よ/おちばが/こずえをはなれる/そのひとときの/しずけさをめぐみたまえ

ついに穏やかに神に召されますようにと願った益雄。……

すてられるものは/すてたい/ひとつのこらず/すてたい/そうおもって/木は/おちばしつくし/冬の日なたをつくった

穏やかな陽を浴びながら、落葉となって、枯葉となって冬の日なたのように暖かく、しあわせに神の元へそう、願ったように思えてならない。

いそぐことはいらぬ/そんなけはいで/木はおちばする/いそがねばならぬ/そんなにもみえて/木はおちばする/かぜがふけばいそぎ/かぜがやめばやすみ/くれやすい冬日

今になって思えば、「死」について書物の諸処で漏らしていたような気がしてくる。信仰を持った彼にとって、「生と死」「生と天国」は身近になったのではないか。殉教者たちも、信仰の苦難にハライソを求めて旅立った。……

木のうた
すてるものはすて/いきをひそめ/ながい冬にはいろうとする/木永遠なものを/いかすために/永遠なものを/いこわせるために/神は/おちばをはらはらと地にこぼし/はらはらとおともなく地にかえし/おだやかな日なたをつくられた

老いて病のある身で、家族にこれ以上の負担をかけさせたくなかった、憩わせたかった、優しさからなのですね。木は歌う、役割を終えて次の代に引き継ごう、しっかりと。

あんなにたかいこずえから/いちまい/おりてくるもみじばの/くれない/地におち/地にくちるまでの/火のようなくれない

炎のような人生を「もみじばの紅」に喩える。彼らしい見事な表現である。

 

 

●受賞のことば

益雄の詩の虜に   永山絹枝

思いかけない受賞で、びっくりしています。
皆さんの手に渡りハートに仕舞ってくださる事これが一番の喜びです。
巷の名もない人達。ハンディを抱えながら一生懸命に生きている方々。そして支える人達。
益雄の真っ直ぐな生き方が光となりますように。
綴方や詩人会議の仲間達が「近藤益雄という愛あふれた先輩を改めて現代に蘇らせた、価値ある本であることは自信を持って言えます。その価値を厳正な審査を通して、しっかりと認めてもらえたという事がまた嬉しいですね。近藤益雄氏もきっと照れくさそうにしながら喜んでくれている事でしょう。」「尊い人の生き方は、時代を越えても変わらず引き継がれていくものだとしみじみ思います。」と喜びを共有してくれました。
私の学びは一人でではなく、仲間達と手を繋ぎながら磨き合う至福の時間でもあります。
今後は第二弾として「近藤益雄を取り巻く詩人たち」として更に研鑚を深め真髄に迫りたく思っています。
益雄の詩は温かいです。その魅力の虜になります。
どうぞ手に取ってみて下さい。

 

●略歴

一九六七年から生活綴方教育に没頭。二〇〇九年、第五八回日本作文の会・長崎大会を千名以上の結集で成功させる。
退職後、ウエスレヤン大学に編入。精神保健福祉士の免許習得を契機として「近藤益雄研究」の途に就く。
二〇〇六年長崎大学大学院教育学部研究科修士課程卒業。
只今「長崎詩人会議」詩誌発行中。
著書
詩集『讃えよ歌え』
『感動とその表現としての詩教育・平和教育』『ながさきの子ども等の作文集』等々。

コメントは受け付けていません。