今月の自由のひろば

2021年6月号

 或る日のインド洋  立会川二郎

ガチャリとバルブが結合された
静かなインド洋上

アケイ少年はこの日が待ち遠しかった
今日は大好きなイスマエル兄さんの
結婚式
モスクのモザイク模様の
タイルに陽が映える
アケイ少年はこの日の為に
参拝者の荷を運びチップを貯めて
街に出て花火を買っていた
イスマエル兄さんと
花嫁のアニラさんが
モスクから出てきた
響き渡る列席者の歌声
アケイ少年は花火に火を付けた
バーンと音がして花火が飛び散った

アケイ少年は空が曇ったと思った
少年がみた最後の空だった
大きな鳥の影が空を覆った
その瞬間
鳥の翼から閃光が放たれた
モスクのモザイクの壁が崩れ落ちた
鳥は去り
瓦礫の山が残った

ガチャリとバルブが結合された
静かなインド洋上

日本国海上自衛隊給油艦から
アメリカ合衆国海軍補給艦への
洋上給油活動が始まった
静かなインド洋上

アメリカ合衆国海軍原子力空母に
艦上爆撃機が戻ってきた

或る日のインド洋
静かな静かなインド洋上


 ●選評
おおむらたかじ
 静けさの中で、ガチャリと音、一連で決まりですね。その時、イスラム圏のどこかで、少年が心待ちにしていたモスクでの兄の結婚式。少年はこの日のためにチップを貯めて花火を買っていた。兄と花嫁がモスクから出てきた。花火に火をつけた。花火が飛び散った。そして、空爆。曇ったと思った最後の空。残ったのは瓦礫の山。
 自衛隊の給油艦とアメリカの海軍補給艦への給油活動、それは何を支えていたのか。
 「ガチャリとバルブが…」のリフレーン。終連、一連、四連と繋がって、きっちりと決まっていますね。


草野信子
 インド洋上の静けさ。想像のなかでバルブの結合音を聞いているところに表現の独自性を感じました。テロ対策特措法によって、日本は、給油を名目に海上自衛隊護衛艦を派遣し、実質、アメリカの戦闘行為の支援の役割を果たしました。立会川さんは、結合音と同じく、空爆で殺される人々の暮らしのシーンを想像し、きめ細かく描写することで、そのことへの怒りを伝えています。「或る日」とは、自衛隊の軍事行動のさらなる拡大が容認されるようになった現在を、そこから照射している言葉のように思いました。

 


都月次郎
 映画的な手法が成功している。二つの場面が同時に進行して行くことで、観客の目で見ていた私たちも、実は加害者側にいたのだと気付かされる。花嫁に爆弾を、これはアメリカのお家芸。人が集まっていればテロリストの集会と言い逃れが出来る。人間の叫びも聞こえない、血の匂いもしない、パイロットはゲームのようにボタンを押すだけだ。

2021年3月号 ヒコクミン  ひだかよし

ヒコクミン   ひだかよし

会うたびにしなやかに成長している
孫たちの姿
それに元気をもらいながら
心の自由がなかった時代の
わたしの年齢に重なる
ヒコクミン
ことばの意味は分らず
良くないときにつかうことばと思っていた

ケンペイさんが突然家に来て
父の本箱や母のタンスをひっくり返して
帰っていった
神棚もなく敵国の神を信じるヒコクミン
赤ちゃんのおむつの干し方が
暗号を送るスパイ容疑にされた
わたしはヒコクミンの子になった

学校で歌うのは軍歌ばかり
軍歌を知らない私に
先生はやさしく ともに歌ってくれた

ある日 好きな歌はと問われ
チューリップの歌をハミングしたら
日本人なら菊の花を歌えと叱られた

毎月八日は戦争の勝利を願うため
全校で町の氏神さまに参拝
ヒコクミンの子が鳥居をくぐると
ケガレルからと そう先生に言われ
列の最後尾 ひとりで鳥居の外を歩いた

ケガレルとは何ですか
そう問いても 答はなかった
ひとりぼっちは淋しかった

戦争が終わり
心の自由よ 永遠に続け
不戦を誓った父の想い
その想いとともに生きてきたわたし
孫たちに このばあばあの声は
どこまで届いているのだろうか


●選評

都月次郎
 戦後生まれの人たちにとっては、信じられないようなことが行われていた時代。一億総火の玉、全国民を戦争に駆り立て、反戦・平和・民主など、今では当たり前の言葉さえ口に出来なかった頃の理不尽な様子が、リアルに描かれている。「おむつの干し方が暗号」等とは、今なら笑ってしまうほどの難癖だが、そうまでしてでも「非国民」のレッテルを貼り、良識人をギリギリと締めつける恐ろしさが伝わってくる。作者が心配するように、こうした体験を知る人はもうあまりいない。最新兵器に乗り込んで、かっこいい! と喜んでいるテレビ番組を見ると、その砲弾で死ぬ人のことを思わずにはいられない。


おおむらたかじ
 押さえた表現だが、タイムリーでもあり、すごく惹かれるものがありました。一連の最後、何気ない言葉にリアリティがあります。
 二~三連、自らの経験として語る具体にも説得力があります。二連「赤ちゃんのおむつの干し方が暗号…」五連「ヒコクミンの子が鳥居をくぐると/ケガレル…」。カタカナも生きています。戦前回帰の動きの中、またぞろ、ヒコクミンなどと言いたげな者たちがいる。ばあばあの声を忘れない。忘れてはいけない。


草野信子  国家による思想弾圧、抑圧を、ひだかさんは、子どもだった戦時下での体験を語ることで伝えてくれました。それは「孫たち」の世代、次の世代にこそ知らせたい、という強い願いによるものでしょう。易しい言葉が選ばれています。けれど、描かれた具体のひとつひとつには、その理不尽を、世代の区別なく、納得させる力があります。「ヒコクミンの子」になった、小さな女の子の心細さ、けなげさが、だれの心をも揺さぶるからです。

2020年11月号「聖火」田村きみたか

●自由のひろば 作品

聖火  田村きみたか

聖火は福島で止まった
聖火は東京へ行くことはできなかった

巨大な怒りの意思を感じないか
人間どもに対する
巨大な意思が感じられないか
こんな汚れたオリンピックは要らない
多くの人を不幸に突き落とすだけの
グローバル経済とやらもご免だ
何か巨大な怒りの意思を感じないか
その正体が何であるのかは
永遠に分かりようがないが 何か
とてつもない怒りの意思を感じるのだ

「復興五輪」開催のために
遙かギリシアからやってきた聖火が
福島で止まってしまった
そして東京へ入ることはできなかった
東京に電力を供給するために
福島の原発でとてつもなく
ひどい事故が起きた
東京に電力を供給するために
福島で大惨事が起こって そのために
故郷を失った人たちが大勢いる
そのことに目を瞑って見ないふりして
もう福島は大丈夫なのだと
東京オリンピックは言う
さすがに何かの巨大な怒りが
その汚れた口を塞いだ

聖火は怒りの炎である
遙かな時空を超えて
福島にやってきた聖火は
怒りの炎であり人類への警告である
変わり果てた原子力の火が
引き起こしてしまった
その現場にやってきた聖火は号泣した
ただ ただ そこに
泣き崩れるしかなかったのだ

 


 ●選評

選評=佐々木洋一
 復興五輪の象徴である聖火が、名ばかりの復興でしかない福島で止まってしまった。何とも皮肉としかいいようがない。原発事故は、利便追求の人間社会への警告であり、コロナ禍も追い討ちをかけやってきました。人間の利便への欲求は一時的に止まったとしても、また豊満な日常に戻っていくことでしょう。オリンピック自体もその意義などどこ吹く風。欲望のおもむくまま膨張する一方です。この作品は、そんな人間社会の矛盾を炙り出し、怒りを爆発させた力作。末尾の聖火の嘆きが心に突き刺さります。


選評=都月次郎
 聖火に意志と感情を持たせた。巨大な何かは宇宙のエネルギーか、人によってはそれを神と呼ぶだろう。故郷を追われたままの多くの人々、日々溜まり続ける放射能の汚染水、壊れたままの原子炉。それら都合の悪いものは見えない。コントロールOK、解決済と言っても聖火自身が許さなかった。最後の三行はリアリティがある。

 


選評=草野信子
 オリンピック聖火を「怒りの炎」と表現したところに、田村さんの意志を感じました。それゆえ、詩は「聖火は福島で止まった」と書きはじめられたのでしょう。福島原発について、同じことが二度書かれているのも、熱を込めた意図的な表現だと思います。けれども、全体としては、社会状況の具体を、作者は、感情の過剰を抑えて簡潔に書いています。「巨大な怒りの意思」というものが、超自然的な存在、そうした存在からの懲罰、に結びついていくことになる危うさを、その簡潔さが救っているように思います。

2020年10月号

あおぞらの詩   小篠真琴

あおいろのそらの向こう側
太陽がうつむき加減を失くしていくとき
きみは、あおいそらの切れ端を
くちびるで押さえて
歯茎からまっ赤な血を流す

すると、抑えていた感情が
分離したヨーグルトの上澄みみたいに
すこしすきとおって流れ出すから
その流れた部分を、ぼくは
きみと十分に味わえるようにと
カスタードクリームに混ぜ合わせていく
地球儀のコマはくるくる回って
あしたからの風を、東方へ送り出した

夕闇は、もうすぐそこだよ

あおいろのそらは
もう用がないと言われた気分になり
すこし哀しくなったのだから
自信を取り戻した太陽と
くるくる回った地球儀のそばで
できるかぎりの愛妻家ぶりをはっきする

それが、じぶんと地球との
これから長いお付き合いの始まりだと
あおいそらだけは知っていて
無防備な地球は
アリの行列を見守るくらいしか
できない気になって
やっぱり、太陽は
東側に沈むんだなと
迎え入れられた夕闇に問いかけていた

本能は、こっそりと臍を嚙む


 ●選評

選評=草野信子
 その色、その美しさを、どのような言葉で伝えたらいいのだろう。そんな夕焼けに出会う日があります。小篠さんは、喩によって、刻々と変わる空の色とともに夕焼けを描写しています。そして、それは「きみ」と「ぼく」との関係を語る喩へと進んでいきます。「やっぱり、太陽は/東側に沈むんだな」という言葉は、自己中心的な「きみ」、どこか頑是ない「きみ」を物語るのでしょうか。それゆえ「こっそりと臍を噛む」のですが、また、それゆえに「ぼく」の「きみ」への愛が、決意のようなものとして伝わってきます。


選評=佐々木洋一
 直喩や形容、言い回しによって徐々に対象の輪郭が現れてきます。動機はそれほど強くなくとも、ふくらみを持たせたことで柔軟性のある内容となっており、新鮮です。ただ、この作品は青春の思いなのか、あおぞらへの淡い心情なのか、感覚的には捉えられたとしても、結果として明確でない気がします。全体的に漠然としたイメージが付き纏いますが、小篠さん独特の世界があります。


選評=都月次郎
 シュールな絵です。あおいろのそらが作者だとしたら、足が天にある逆立ちの姿勢で、世界を見ている。だから太陽も東に沈む。大きな宇宙とアリの行列の対比は面白い。アリの行列はいくらでも見ていられる。

2020年9月号

●自由のひろばトップ

一羽の鳥  青木まや

林檎やイチゴを食べにくるヒヨドリは
農家にとっては困った鳥だが
美食家らしい
それよりも何よりも
いつも二羽で動き回り
仲良き鳥と見ていたのだが…

ベランダに出した万両を狙いに来た
一冬中目を楽しませてくれた赤い実を
慌てて取り込んだのだが
「ビューョ オーイ赤い実を出せ
 ビューョ ビューョ」
大きな声で鳴き
ミラーガラスには体当たりをする
執念深い図太いやつだ
こういうのは人間にもいるよなーと
軟な考えを巡らしている間にも
何度も何度も繰り返す
家の中では其のあり様に脅え
吠えながらもしがみ付いてくる仔

手すりとミラーガラスには
紙を貼り風にまかせた
事はこれで終わったかと思ったのだが
恐れることなく来ては鳴く
翌日も朝から「ビューョ」
しつこいやつだ

万両の実はそんなに美味しいのか?
ミラーガラスに映っているのは
おまえの姿だよ
独りぼっちは寂しいか
椿も梅も咲いた 
嬉しい恋の季節はもうすぐだ
それまでの辛抱だよ
ほら春本番はすぐそこまで来ているのだから

 


●選評

選評=都月次郎
 昔窓ガラスに野鳥がぶつかって庭に落ちたことがある。そのときはガラスにくっきりと青空が映っていたので、空と間違えたのかと思っていたが、今はなわばりへの侵入者に対するアタックではなかったかと思い直している。万両の実は自分のものと思っていたのに、突然なくなってしまったことへの怒りか、ガラスに映る侵入者への攻撃か、ほんとのところはヒヨドリに訊いてみないとわからないが、弱肉強食の自然界で生きる者たちは、きっと人間の知らないいろんな顔を持っている。


選評=草野信子
 タイトルに魅力を感じました。ヒヨドリを描いていますが、ヒヨドリ一般ではなく「一羽の鳥」。青木さんは、一羽のヒヨドリを個として識別されている。「執念深い図太いやつ」「しつこいやつ」という言葉もそこから発せられています。それが、最終連のしみじみとした呼びかけへと繋がっていったのでしょう。骨太な声での、温かい呼びかけです。最終行の末尾に「~のだから」と説明を感じさせる言葉が付いているのが少し残念です。一度「のだから」を消して読んでみてください。


選評=佐々木洋一
 ヒヨドリの、時に愛くるしい、時に執拗な様子がしっかりと観察され、描写されています。それは、日常の様々な出来事に、作者の愛情が注がれているあかし。ヒヨドリが、万両の実を必死に求めるのは、他に実がないせいで、いつまでも残っている赤い実は、まずくはないがうまくはないもの。春になれば、ヒヨドリはうまい実もパートナーも手に入れることになるでしょう。その頃は、とても騒々しくなりますが。日常の中に人以外の鳥がいることの安堵、温もりを感じます。

2020年8月号

●自由のひろば

乳房の重さ   御供文範

その夜
ぼくは母と風呂に入った
裸電球一個の薄暗い風呂場の湯船から
雪舞いのように湯けむりがゆらめき
時折 冷たい隙間風が頬をよぎる

母とぼくは
狭い湯船で顔を向き合い
からだを沈めていた
するとぼくの目の前に
大きな白いおっぱいが浮かび揺れている
驚きとうれしさのあまり
二つのゴムまりのようなおっぱいを
持ちあげたり揺すったりした
母はくすぐったいとからだをよじる
ぼくはますますはしゃぐ

今思えば 母は
日々の張りつめていた緊張から解放され
つかの間の生の喜びに浸っていたのかもしれない

夫を喪い 三人の幼子を背負い
母子家庭の行く末への不安
風呂に浸かるというのは癒しではなく
ひとときのまやかしだと母は知っていた

湯船からあがれば
雪のように白いふわふわおっぱいは
引力に逆らえずもとの乳房となり
これから苦難な道のりが待っていることを
母は知っていた

その日の昼 騒々しかったのは
父の告別式が営まれていたからだった
ぼくが二歳の時で ずうーっとのちに知った

 


●選評

選評=佐々木洋一
 モチーフとしてはよくある題材だと思います。おっぱいに対する想いは、取り分け男の子には忘れることが出来ません。生活を必死で支える母の唯一といっていい安らぎの場所、風呂でのささやかな出来事。赤裸々な母と子の情愛が嬉しい。時代背景もあり、現代とは趣が異なるとは思いますが、このような光景は今でもあるのではないでしょうか。「風呂に浸かるというのは癒しではなく/ひとときのまやかしだ」という認識には迫力があり、逞しいおっぱいの生活感が魅力です。


選評=都月次郎
 乳房は風呂の中では浮くのだと初めて知った。入浴は多くの人にとって癒しのひとときのはずだが、それさえも「まやかし」でしかないという、幼子を抱えた厳しい現実が母を待ち受けている。二歳児のかすかな感触を基に、歩いてきた時間をさかのぼって書かれた作品だが、短編小説のプロローグのような静かな語り口で最後も見事な着地になった。


選評=草野信子
 描かれている情景は、御供さんが二歳の時のこと。その日にお父さんの告別式があった。そのことを詩の最後でそっと明かす、巧みな構成です。風呂場の様子、湯船のなかの母子の様子は現在形で書かれていて、そこでは御供さんは二歳のままです。くりかえし回想したのでしょう。細部が鮮やかです。回想することで、言葉が記憶の手触りを確かな光景へと育ててくれたのだと思います。「苦難な道のり」を生きてこられたであろうお母さんへの、まっすぐな愛の表現です。

2019年8月号 自由のひろば 作品

 わたしという存在
       むらやませつこ

 台所の流しの隅で
 ナメクジがじとっと動いている
 すろうもうしょんで動いている
 貼りつくように動いている
 歩いた跡がぬめりぬめりと光っている

 塩 塩と叫んで つかんだ手が止まる

 世界の片隅で
 片目を開けて盗み見している

 地球の端っこで
 すろうもうしょんで息をしている

 蛙がバケツの中で跳びだそうと
 助けを求めて 青空を仰ぎ見る

 バッタがたらいの水面で草原を
 目指して
 足をじたばたさせている

 地球の隅の島国のそのまた小さな島で
 青い海を母として息づいている
 珊瑚礁
 青い空を目指すことなく
 緑の草原に憧れることなく
 茶色い土砂に被われていく

 島国の片隅にいて
 小さく息を吐き
 青い空を飽かずに眺めている

 あーあ
 あごがはずれるまで笑いたい

 


 選評=柴田三吉
 むらやませつこ「わたしという存在」
 身のまわりの小さな生きものへの視線。書き出しをナメクジとしたところに虚を突かれました。「すろうもうしょん」のナメクジ。さらに、捕らわれて青空を仰ぎ見ている蛙、草原を目指しているバッタへの眼差し。そこから辺野古の珊瑚へ展開した後半はさらに虚を突かれました。珊瑚は海の底で土砂に埋められていき、それでも黙して耐えている。淡々とした描写が読む者の切実を喚起します。ラストの溜息は世界への憂いに満ちています。


選評=みもとけいこ
 むらやませつこ「わたしという存在」
 一点の隙もない巧みな構成だと思います。台所でナメクジを見つけた作者、塩をつかんでふとなめくじと自分の存在を入れ替えてみます。カエルやバッタと存在を入れ替えてみます。そして最後に珊瑚礁の存在へと読者の視線を誘います。言うまでもなく基地建設のため土砂の投入が続いている辺野古の海で、土砂を被った珊瑚礁です。わたしという存在はこの日本国で、なめくじやカエルやバッタや珊瑚礁のように、小さく遠慮がちにそっと呼吸している。一人の国民としてけっして主人公ではないと痛烈な批判が、オブラートにくるまれていますが、心に刺さってきます。


 選評=佐々木洋一
 むらやませつこ「わたしという存在」
 島国日本の片隅に生きている作者の自由になれない鬱屈とした思い。同じように、小さな生き物たちの様子からも自由へと這い出したいとの思いを感じ取った。そんな憤りの気持ちがよく表れている作品です。また、珊瑚礁が土砂に覆われ失われていくのは、沖縄に限った事ではなく、地球の到る処の現実。作者の焦りや諦めに変わっていく気持ちが何ともやるせない。末尾の腹からの笑いへの熱望が、救いとも自虐とも本音とも取れ、この作品を締めています。

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☆ 一人ひと月に詩一編、1行17字、40行以内。
 (ワープロ原稿も可ですが必ず縦書きしてください。)
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  郵送先 : 〒170-0004
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  詩人会議 宛て
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☆ 原稿は返却いたしません。
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